パロティングとはparrot(オウム)より生まれた言葉で、他人の意見をそのまましゃべって自分の意見のように見せることのようです。
著者の石川さんはこの本の出版時には上智大学の新聞学科教授ということですが、政治姿勢は反政府反権力というもののようです。したがって、その姿勢を反映した反メディア論ということになります。
この本の書評を書かれている方も居ますが、こういった姿勢自体を問題視する人もいるようです。しかし、メディアと政治権力の癒着という問題は繰り返し取り上げて問題化するべきものであり、それを批判する人の少ないこと自体が社会問題でしょう。
本書執筆当時は小泉内閣の時代であり、その支持率は内閣発足当初の80%よりは下がったというものの、まだ40%台という高いものでした。
こういった内閣支持率の数字というものも、メディアの報道による影響を強く受けます。
小泉はそのメディア露出の多さ、短く分かりやすい(その反面実態のない)言葉を通して高支持率を取っていました。
ただし、その高支持率といってもそれは調査対象のグループによってかなり違ってくるようです。
そのグループ分けの基準というのが、「各世帯の新聞購読紙」でした。
朝日購読で不支持率が最も高く、読売購読が支持率が高い。そして毎日購読がその中間というものでした。
日本の家庭では通常は新聞は1紙購読がほとんどです。そのため、新聞の報道姿勢と内閣支持とが関連する可能性が示唆されます。
そこで、各新聞の論調にどのような差があるかということを調査したわけです。
首相の靖国参拝、原発問題などの各新聞の取り上げ方を見ると確かに政権の政策に対する態度が異なりました。もちろん、読売が最も政権寄り、朝日が反政権ということです。
このように、人々が持つ意見というものが、実は読んでいる新聞などの意見に左右されているということなんではないかということです。
これをパロティングと言います。つまり、オウムのように耳元で語られた他人の意見をそのまましゃべって自分の意見のように繰り返すことです。
世論調査という物自体、現在ではテレビや新聞各社が実施していますが、その設問の内容、表現方法、並べ方等により答えを誘導できるということはよく知られています。
各社が実施した世論調査についてもその設問を見るとそういった意図が感じられます。
日本のメディアは第2次大戦敗戦後に出直したかのように見えます。
新聞各社は戦争中は政府軍部に協力した翼賛体制に加担しましたが、敗戦後は一部の幹部追放はなされたものの、ほとんどがそのままの体制で活動を続けることができました。
これは、マッカーサーの日本統治戦略によるもので、メディアの占領軍への協力を取り付けるためのことだったようです。
日本のメディアはその戦略にそのまま乗ってしまいました。
そして、その後の55年体制による保守半永久政権のもとで政権の意向に沿った報道をするという現在の体質に染まりきってしまったようです。
戦後の東西冷戦体制の中で、国全体の流れは親米保守政権により確定しました。メディアもそれを根本的に批判することはなくその体制に組み込まれていきました。
「ナショナリズム」というのは本来は自らの国の自立を基にする思想です。しかし、日本では親米であることにより国を統合するという変形のものになってしまいました。
ただし、こういった特性は多かれ少なかれアジアの各国にも見られたようです。
その後、高度経済成長により成功のイメージが強く持たれるようになると、さらに現状追認の雰囲気が強まります。
1960年代になると産経新聞の保守化、親米化が強まります。
これにより自民党の産経への強い支持が強まるようになります。
さらに、80年代になり中曽根政権がさらなる対米擦り寄り政策を進めるとともに、読売新聞が明確に政府寄りの姿勢を見せるようになります。ただし、読売はもともと正力松太郎の頃から完全に保守政党と一体化の意識があり、これは元の姿を見せるようになっただけのようです。
ただし、朝日や毎日が反政権であるかというとそれも違うようです。
読売産経が政府の政策に積極的に賛成する姿勢であるのに対し、朝日毎日は現状の政策(これも政府の今の政策に過ぎない)を認めているだけで、それに反対しているわけではないようです。
有力新聞はどれも「公正・中立」を標榜しています。しかし、「中立」であることは決してそのまま「公正」であることを意味しません。
水俣病発生時に、熊本大学が地道な調査の末に有機水銀原因説を発表すると、政府側は東京から大学教授を現地に派遣し1週間の現地調査を行なって「魚介原因説」をでっち上げました。
この双方の「学説」を新聞社は「中立」の立場から並立して報道しました。そのために、真実を語った有機水銀説に真摯に向き合うことができず、かなりの遅延を招きました。ここのどこに「公正」があるか、その判断を放棄して報道したのが新聞社でした。
どうも、一紙購読でその新聞だけの論調に左右されるのは危険なようです。
しかし、本書出版から10年以上がたち、今になると特に若い人の新聞離れが急速に進んでいるようです。彼らの世論形成はどこから来ているのか、非常に危うい事態になっているのかもしれません。