爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「時刻表昭和史」宮脇俊三著

著者の宮脇俊三さんは故人になりましたが、元祖「乗り鉄」とも言うべき人で国鉄時代に全線踏破をされ、それを「時刻表2万キロ」という書物にされています。
この本は子供の頃から青年時代まで、ちょうど戦前から戦争中の自らの鉄道趣味の人生前半をそのそれぞれの列車に託して書かれているものです。

著者は父親が実業家で代議士もしていたという恵まれた家庭に育ち、まだ旅行に行くと言うことが普通ではなかった時代ですが子供の頃からあちこちに出かけています。また中学・高校(旧制)のころには一人や友人との旅行も頻繁に出かけており、それも幼い頃から時刻表というものに馴染み、それを駆使して旅行に出かけるという、筋金入りの鉄道ファンだったそうです。

まだ小学生の頃の家の近くの山手線の描写から始まり、渋谷駅にはハチが実際に居た頃も見ているそうですが、近所の人が焼き鳥の余ったものをやるのでそれが目当てかもと書かれています。
その後、特急が続々と登場してくる時代にちょうど少年期を迎えた著者は、父親が事業や議員生活のためにあちこちに旅行するということもあり、そのような列車というものに強く興味を持つようになり、丹那トンネルの開通によるダイヤ改正などで時刻表を見ていく楽しみにも開眼していきます。

家の状況も良かったためか、母親や兄弟とともに遠くまで旅行ということも頻繁であり、両親の故郷の香川県にも母と姉と三人で行ったというのが、「急行5列車下関行き」という章です。本人はやはり特急「富士」「櫻」に乗りたかったのですが、贅沢すぎるということと、香川に渡るには時間が不便になるということがあり、残念ながら「急行5列車」利用と言うことになってしまいます。それでも母親の意向で3等(普通車)には乗らず、2等寝台利用と言うかなり贅沢な旅行にはなってしまったようです。

その後、著者が中学から高校になる時代と言うのはちょうど戦争が激しさを増す時でした。それでも何とか理由をつけては列車での旅に出かけているようですが、さすがに本土爆撃が始まるようになると、列車に対する飛行機の攻撃も頻発するようになり難しくなったようです。

なお、著者の父親の宮脇長吉という人は、軍人が国会で演説した際に野次を飛ばしてその軍人が「黙れ」と一喝したという有名な事件のちょうどその野次の発信者だったそうで、本来はその軍人も「黙れ 長吉」と言うつもりだったのが、名前は言わないでおいたというエピソードがあるそうです。

この本は最後は昭和20年8月15日に旅先で玉音放送を聞いたところで終わります。しかし、その直後にも列車は定刻に走っていたことに著者が感慨を受けるというところが最後の章でした。「時が止まっても列車は走っていた。こんな時でも汽車は走るのかと不思議な思いがした。」ということです。