旅行と言えば今では自動車や飛行機、鉄道を使うにしても新幹線といったものになってしまいましたが、かつては「夜行列車」がかなり大きな位置を占めていた時代がありました。
著者の松本さんは1955年生まれということですので、私とほぼ同年配、しかも東京近郊在住でありながら父上の故郷が熊本の天草で、しばしば帰省したということで、夜行列車を利用する機会は私よりもさらに多かったのでしょう。
さらに、鉄道ファンとしてあちこちに出かけた上に仕事として鉄道関係を手掛ける出版社にも勤務ということで、その後の鉄道体験は非常に豊富なものとなりました。
そういった著者が、かつて利用した夜行列車についてその思い出を描いていますが、その時々の乗車体験の中で特に印象深かった風景を記しているために、より一層臨場感が伝わってくるものとなっており、同じような体験をしてきたものにとっては自分自身の記憶も呼び覚ますものです。
なお、夜行列車といえば夜行寝台特急のブルートレインが有名ですが、描かれている列車はそれだけに留まらず、座席車両の急行列車や普通列車まで含むというバラエティーに富んだ内容となっています。
私自身も利用したこともある列車も多く、改めて「良い時代だった」という思いを強く感じます。
本書冒頭は寝台特急「はやぶさ」、著者にとっては思いも一番強いものでしょうが、私自身にとっても他の寝台特急と比べ一層印象の強いものです。
1960年に20系客車化をしてブルートレインとなったはやぶさですが、当時の営業キロは1514.7㎞で日本最長の旅客列車でした。
東京を出発して熊本で半分を切り離し、残りの車両で西鹿児島まで走っていました。
東京大阪間を走っていた急行銀河も印象深いものでした。
著者もさすがにこれにはあまり乗車する機会が無かったようで、2008年の引退の直前にようやく乗ることができたそうです。
東京駅発は23時00分、大阪駅着が7時15分で、もはや新幹線のぞみに乗れば朝一番で十分に大阪には到着できるということで、存在の意味がほとんど無くなっていました。
私も一度も乗ったことはありませんでしたが、学生時代の通学で東海道線を使っていたため、夜遅くに帰る時などは東京駅で見かけたものです。
急行「天草」というのは、全く知りませんでした。
1956年に誕生し、1975年の新幹線博多開業まで運行されていたのですが、京都発で筑豊本線経由の熊本行という経路だったそうです。
どういう需要があったのかよく分かりませんが、関西方面から筑豊地域への旅行者がそれほど居たのでしょうか。
阪和・紀勢本線の快速1395Mというのも面白い列車だったようです。
もともとは紀勢本線全通時から運行されていた名古屋天王寺間の夜行客車列車からの伝統があったそうですが、1986年の国鉄最後の時に運行打ち切りとなったものの、「釣り列車」としての需要があったために新大阪から新宮までの区間の夜行列車として残ったそうです。
著者はその列車に使われていた165系電車の最後の姿を見るために2001年に乗りに行ったのですが、その時にはもう釣り人らしい人は3人だけとなり、需要がもうなくなっていたようです。
遠くまで行くにしても飛行機や新幹線ではどうも旅情というものを感じにくいようです。
夜行寝台で早朝に目覚めて通路側の仮座席を下ろして窓からの薄暗い風景を眺めるというのは旅情そのもののような印象でした。