著者の生内さんは、年齢ははっきりはしませんが、私よりかなり年上のようです。
若い頃、というとおそらく高度成長時代の日本に自動車時代がやってきたあたりから、カーライフを満喫し、新聞記者であったのがやがて交通旅行評論家として活躍するようになったという、現在の自動車社会を先導してきたような方です。
この本も、昭和59年の出版ですが、その表紙の紹介文には「50万キロ走破の著者」とありますので、様々な自動車の乗り方、使い方を世間に先駆けてやってきたのでしょうか。
本の内容も、「高速道路で日本縦貫」というものから、「林道走行」「カーフェリー」「スキードライブ」「レンタカーの旅」など、バラエティーに富んだものとなっています。
私の記憶とも関連が深いのが、当時の高速道路網で最長のドライブを行ったという、「高速道路で日本縦貫」というものです。
現在であれば九州の南から青森まで、高速道路だらけですが、この本では「高速道路の一番長い区間を走ってみてやれ」と思いたち、仲間4人でドライブしたというもので、その区間が「東京から熊本県八代市まで」というものです。
何度も触れていますように、私の現住所が八代市、大学卒業し会社に入ってすぐに赴任して以来の縁です。
そして、高速道路の建設と延伸というのがちょうど私の若い頃の思い出とも重なるものです。
九州縦貫自動車道が、熊本、御船、松橋と次々に開通していったのが、ちょうど私がこちらに赴任してきた頃と重なり、八代ICまで開通したのが昭和55年(1980年)3月12日でした。
しかし、ここから先の人吉までの球磨川沿いの工事は大変な難工事で、1989年までかかっています。
したがって、この本で生内さんたちがドライブをしたという時期は1980年から89年までの間だと推定できます。
高速の八代開通まで、会社のバス旅行などで北方に向かう時は高速に入るまでは国道3号線を走っていきました。そこで印象に深いのが「南国ドライブイン」です。
途中の宇土市あたりだと思うのですが、いきなり道路際に大きな建物が現れ、バスを始め多くの車が吸い込まれていました。
その後、高速開通するとすぐに営業停止、閉店してしまいその後はどこがあの場所であったのかも分からないほどです。
本書のドライブの記述に戻りますが、そのドライブ日程は十分に余裕を持ったもので、東京から中央道経由で1日目は諏訪で一泊、2日目は中国道津山で泊まり、3日目に八代着で八代泊まり、ここまで1300kmという旅行だったそうです。
途中の中国道では大雨でハイドロプレーニング現象をもろに経験とか、食事をすべてサービスエリアで取ったら仲間の男性たちが最後は反乱を起こしたとかいろいろな経験をされたようです。
現在であれば、サービスエリアの設備や食事の質などもかなり向上していますので、問題はなかったのでしょうが、その代りにどこの高速も当時と比べればかなり混雑しているでしょう。
雪道ドライブも、最近の自動車性能やタイヤは改良が進んでいますが、かつては大変なことも多かったようです。
ただし、タイヤ性能が向上したといってもはやり運転に注意は必要であり、昔の苦労話を読み直すことも意味あることでしょう。
かつての「カーライフが光り輝いていた」時代の香りがするような本ですが、今では夢のようなものかもしれません。