表題から見た印象は俗世間のあれこれに哲学を使えばどうなるかといった内容かと思いましたが、中身は非常にまじめに哲学の歴史とその内容について解説したものでした。
たしかにその解説は一般向けと言うことを意識して書かれていますが、題から得た印象で見ていると少々落胆を感じます。とはいえ、哲学と言うものを概観したことがあるという人はあまり居ないでしょうから、そのつもりで読めば得るところが多そうです。
哲学と言うものの一般的な捉え方というのは、「生き方を説く」とか「人生についての説教」と言うものですが、実はそれは哲学のごく一部分のみで、道徳哲学とか倫理学といったものだけです。その他の何に対しても考えることができる技術(スキル)が哲学であるというのが本当に近いところで、料理の哲学というものもあるそうです。
哲学は「宇宙の根源」を考えることから始まりました。紀元前7世紀のギリシアのことです。タレスは万物の根源は水と言いました。ピタゴラスやヘラクレイトスといった人々がそれぞれの説を唱えました。
その後、キリスト教やイスラム教など宗教に支配された時代がやってきますが、やがてイタリアからルネサンスが始まります。中世から近世に変わるこの頃に近代哲学がデカルトやスピノザにより発展します。自分自身の意志と言うものはあるのか、考えている自分と言うものはあるのか、今普通に哲学と言って思い出すような問いかけがこの頃にスタートします。
このような経験論と合理論の間での論争が行き詰まりを見せた頃に新しい認識論を出したのがカントでした。「コペルニクス的転回」と言う言葉はカントが自身の認識システムの哲学を名付けたのが最初の用法だったということです。
カントの功績は道徳哲学の上で大きかったのですが、現実問題に対しては適用できない場面が多く登場します。特にヘーゲルはカントに対し批判的であり、カントの道徳哲学は一人だけで住んでいれば勝手にやっていれば良いけれど、社会では使えないという議論をしました。そしてそのような変化に富んだ社会と言うものを認識し説明する法則が「弁証法」であると述べました。
人間の成長と言うものも弁証法そのものであり、さらに社会の発展というものも弁証法であるということです。
これらの業績から、ヘーゲルの哲学で近代哲学は完成したと言われるようになりました。
しかし、当然ながらそれに対する批判も次々と登場していく過程が20世紀初頭から始まる現代哲学の時代でした。そこではマルクスやサルトル、フロイト、ユング、フーコー、デリダといった人々が議論を展開しました。
表題のような現実社会の疑問点の答えというものが載っているような哲学というものは無いようです。しかしそれに答えるための方策というものが哲学者それぞれの考え方の中にありそうです。それは一つ一つ当たって見なければ分からないものなのでしょう。