内田樹さんが「道徳の本」を書くように依頼されたそうです。
blog.tatsuru.com「道徳」という言葉から受けるものは、人によってかなり違うでしょう。
私などもやはり「学校での空虚な道徳教育」という印象が強すぎるために、なかなか素直には捉えることができない方です。
内田さんもやはり一つの定義には絞り難いのでしょうが、「書きながら考えてみた」ということで、それでもちゃんと筋が通るところはさすがです。
定番の進め方でしょうか、やりにくいテーマの時の対処法でしょうか、国語辞典に書かれている定義も引用されています。
新明解国語辞典には次のようにあるそうです。「社会生活の秩序を保つために、一人ひとりが守るべき、行為の規準」
まあ、そんなとこだろうなと言う、毒にも薬にもならないような定義でしょうが。
その次に、電車の中での席の譲り合いといった具体例を示していますが、そこで言いたいことは「道徳も人それぞれ」ということでしょうか。
ただし、人によってやはりその深みや重さ・軽さが違うということなのでしょう。
最後に一応のまとめとして、
道徳的であるというのは、ひとことで言ってしまうと、「誰かが引き受けなければならない仕事があるとしたら、それは私の仕事だ」という考え方をすることです。というのが僕の意見です。
とされています。
私自身はあまり道徳ということを考えることもないためか、そう言われてもピンとこないところもあるのですが。
最近読んだ本にまったく別の観点から道徳ということが書かれていたものがありました。
sohujojo.hatenablog.comこの著者は、「道徳教育では”人間と社会と国家の論理”をきちんと教えるべきだ」という意見でした。
それも一つの考え方であり、特に「学校の道徳教育」に限って言えば正論なのかもしれません。
ただし、「道徳全体」を見ればこれもやはり一面に過ぎないのでしょう。
道徳というものが、教育うんぬんを言う以前に非常に難しいものだということは分かりますが、それでどうするという方向にはあまり頭が働きません。