日本人の国民性と言われるもの、義理堅いとか、我慢強いとか、規律を守るとか挙げられますが、これらは江戸時代に形作られたものと言えそうです。
それ以前の時代とは大きく違うものが、出来上がって行きました。
ただし、それは現代にも受け継がれているとは言え、徐々に変わってきており、特に最近になって大きく変化していると言えそうです。
もう一度そこのところを認識してもらうためにも、江戸時代の人々の考え方、行動様式、規範などを見てほしいと、著者の東大資料編纂所教授で江戸時代の歴史が専門の、山本さんがまとめられたものが本書です。
義理というものを守るのは今でも当然の道徳という感覚が残っていますが、江戸時代のそれは現代とは比べ物にならないほど守られていたものでした。
江戸の町は何度も大火事に襲われましたが、その際に牢屋敷に囚われていた囚人たちを緊急に釈放したという例があります。
その際に、役人の長が必ず戻ってくるようにと諭して解き放つと、ほとんどの者が指定の場所に集まったそうです。
自分たちが逃げてしまえば、役人が責任を取って腹を切らねばならないのは明らかなので戻る。社会の下層の犯罪集団の一員であった者たちでもそういった義理を重んじていました。
今だったら、犯罪者でなくてもほとんどの人々がそんな義理は無視でしょう。
江戸時代は士農工商といった身分制度が厳しかったと言われていますが、どうも他国の身分制度とはかなり異なるものであったようです。
他国では上層は公徳心も厚いものの、下層身分の人々は、道徳観も薄く悪いことでも何でもするというところが多かったようですが、日本では農民は道徳も守らないかというと全くそういうことはなく、武士と差はなかったとしています。
これは、日本では身分の違いというのではなく役割の違いと考えられていたのではないかということです。
封建制度は親子の縁を重要視してきたと思われていますが、実は血縁というものはさほど意識されていなかったようです。
家というものをつなげていくということが最大の関心事であり、そのためには娘に婿を取らせて婿養子とするばかりでなく、まったく血縁の無いものを養子とする例も多かったのです。
現代から祖先をたどってみると、特に江戸時代には武家ばかりでなく商家や農家でも何何家より養子に入るという記述が入り、血縁をたどる目的で見ているとがっかりさせられることも多いようですが、それが当時の普通の感覚であったようです。
表題にもなっているように、武士は切腹という形で責任を取るということが頻発していました。
死者を鞭打つことはしないというのが社会のルールとなっており、切腹してしまえばそれで終了ということも強かったようです。
本人が死ねばそれ以上の追求はなく、家は存続させるということも多かったので家を守るという意味もありました。
ただし、そのような習慣のため武家社会では「失敗を後に活かす」ということができませんでした。
これは社会としても大きな欠点であったようです。
現代でも、切腹をする習慣までは残っていないにしても(自殺はまったく無くなったとは言えませんが)失敗を追求して後に活かすということがどうも日本人は苦手なようですが、ここに原因がありそうです。
時代劇では頻出する「悪代官」ですが、江戸時代初期は居たかもしれませんが、その後は旗本が交代で就任する行政職にすぎず、商人と結託して甘い汁を吸うなんて言うことはほとんどできなかったようです。
それよりも、各地に名代官が続出するというのが実際だったとか。
少し前の出来事かもしれませんが、多くの事を忘れてしまっているようです。