著者の森下さんは東京外語大を出た後会社勤めで海外派遣、その後著述家となった方ということです。
この本を書く前に、海外の人物の「不肖の息子」という本を執筆し、それが好評だったので日本版も書いてみたということです。
歴史の専門家というわけではないようですが、取り上げられている人々はそれほど有名とは言えない人もあり、相当詳しく調査をされているものと思います。
「不肖の息子」とはよく言われることですが、親から言う時は他人に謙遜して息子をそう呼ぶことがあります。
しかし、他人から見ても明らかにあれは「不肖の息子」だと分かる場合も多いようです。
これはおそらく心理的なカラクリがあり、有名人の場合は大抵他人より抜きん出た何らかの能力を持っているからこそ有名になったということがあるのでしょうが、その子供という存在は普通であっても親と比べられれば劣ると言うことがありそうです。
逆に「鳶が鷹を生む」ということもよくあるわけで、それはクローンでない限り仕方のないことでしょう。
さて、そのような観点からみて「不肖の息子」であるような親子関係は歴史を見てみればいくらでも出てくるでしょう。
この本に取り上げられている親子は、有名なものもありますがあまり知られていないというものもあります。
源頼朝・頼家、足利義政・義尚、松平秀康・忠直などといった親子は有名な方でしょう。
しかし、津軽寧親・信順、加藤嘉明・明成などという人たちはどの時代のどこの人かということがすぐには思い浮かびません。
また、出雲守成貞の息子の水野十郎左衛門、竹内亀太郎の息子の竹内良一などといったら何の人かも分かりません。
それほどかけ離れた親子関係だったのでしょうか。
なお、必ずしも親は優れている一方子供はひどいという例ばかりとも言えないようで、徳川慶喜の子の徳川厚、精という息子は、たしかに放蕩息子ではあるものの、慶喜そっくりと言えないこともないようで、不肖かどうかは疑問がありそうです。
佐久間象山は知名度ではその弟子と言える勝海舟や吉田松陰ほどは知られていませんが、長野県民歌「信濃の国」にも歌われているように大変優れた人だったようです。
しかし、その息子の啓之助、母親の姓をとって三浦を名乗ったのですが、これは正真正銘の不肖の息子だったようで、新選組に入ったものの粗暴な行いがひどく、近藤たちもすぐに見限って斬ろうとしたものの逃げ出したそうです。
これは全く知られていないことでしょう。
親があまりに偉すぎると子供の成長にも逆の影響が出るということもありそうです。