カメキチさん(kame710)のところで「人のつながり」と題して書かれていましたが、それについてこちらでも思うところを書いてみたいと思います。
カメキチさんは、「血縁」「地縁」そして「社縁」と上げていましたが、やはりだいたいはそれが基本的なものでしょうか。
ただし、現代ではその縁というものが大きく変動してしまい、今生きている人の間でも認識のずれが激しくなっています。
それが例えば親と子でも違う、祖父母と孫ではもう全く別ではどうしようもありません。
歴史的に見ればおそらく血縁集団が社会そのものであった古代から、徐々に非血縁者も含む地縁集団となるのが中世。
社縁と示されていましたが、これが大名家、庶民でも商家などといったものに始まるとすれば中世以降に拡大していき近代には圧倒的な存在となったものの、これも現在では分解し出しています。
それではそれぞれについて。
(1)血縁
血縁集団は非常に強いつながりを持っていますが、その強度も時代により緩んできたかのようです。
中国やイスラム圏のように部族社会とも言えるところでは、かなり遠い親族でも扶養し合うということもある(あった?)ようですが、日本ではすでに従兄弟といった程度でも接触の機会が減っているようです。
これにはそもそも少子化により親族の人数が減っているということも関係するのでしょう。
私には父方母方合わせて7名の叔父叔母がおり、配偶者も含めればその倍の数になりますが、私の子どもは同じように数えても叔父が3人だけです。
しかもかつてのように何かある度に集まって顔を合わせるということも少なくなり、せいぜい葬式程度ということになっています。
さらに親子の関係というものも徐々に薄れているのでしょう。
かつて、家業というものがあった時代では長男がそれを継ぎ同居するというのが普通だったのでしょうが、会社勤めが普通となれば親と同じ会社に勤めるということはまず無く、別の会社に入れば勤務地も選べず親とは別居ということになります。
家業、すなわち多い方から言えば農業、商業、工業でしょうが、どれも徐々に衰退していきその数は激減しています。
農家はほとんどが兼業農家と化し、しかも勤めの方が主となっていきます。
息子は勤めの近くにアパート住まい、稲刈りの時だけ家に手伝いに行くといった家が目立ちます。
商店、自営工場といった小企業、個人企業はどんどんと衰退し廃業していきます。
親も子供にこのような商売は続けさせたくないということになり、自分の代で廃業ということが多くなります。
そのように別会社に勤務で住まいも別というのでは親子関係も薄れるのが当然でしょう。
元気な間はそれでも良いのでしょうが、親が高齢になったり、身体に障害ができたりといった場合には世話もできません。
そういう場合、かつては「長男の嫁」に親の介護というものが押し付けられたという時代もありましたが、介護保険制度というものができて劇的に変わりました。
今は田舎の親と同居している家庭でも子供世代は皆共働きで勤めに出ているため、家庭内で介護ということは不可能です。
結局は何らかの介護施設などに入れるしかなくなります。
その傾向が強くなったのか、介護保険の保険料は制度が始まった当初と比べて数倍にも上昇しているそうです。
それでも十分な介護は難しいのでしょう。
長寿化しているためにその期間が長くなっているのも問題を難しくしています。
ただし、現在高齢者比率が高いと言われている地方では徐々に介護施設の必要量も減っていくことになります。
熊本県の田舎でも介護施設が徐々に淘汰され、潰れるところも出ているようです。
これから先、介護施設が爆発的に増加するのは都会でしょう。
しかし、それでも足りなくなるのは必定でどうなることやら。
さらに、「血族を作らない」人も多数発生しています。
結婚しない、あるいはできない人が多いということは身に染みて感じられるという思いは誰しも経験しているでしょう。
親族や知人の中にいくつになっても結婚しないという人が続々と出てきているという状況は私にも身近です。
もちろん、少し前の「だれもが結婚した」という時代はごくわずかな期間しかなく、近代以前には結婚するだけの力がある者しか結婚できないという状況も多かったと思います。
農家や商家でも後を継げるのは長男一人、その嫁となる女性一人がまともに結婚できるだけで、他の兄弟姉妹は家を出ていくしかなく、その先でも結婚できるだけの財力を得られるのはごくわずかだったでしょう。
しかし、現代から近未来はそのような状況が再来するのでしょうか。
(さらに続く)