NHKの夕方の番組を見ていたらこの題で視聴者のエピソードを募集というのをやっていました。
人様のお題を頂いて自分のブログを書くという得意技をまた使いたいと思います。
その1
高校時代には運動部に所属していました。
我が母校には校内に合宿設備が設けられており、夏休みなどには各部交代で合宿して練習していたものです。
私立の運動専門?学校などでは特別な合宿場所に出かけて練習していたのかもしれませんが、金もない県立佼の我が佼では、校内ということで宿泊費も食費も格安で合宿ができました。
とはいえ、まだ昭和40年代ということで家庭用のエアコンなどもほとんど普及していない時代です。
そのため合宿所も生徒の泊まる二段ベッドの部屋にはエアコンなし。
しかし監督やコーチ用の座敷部屋にはエアコン設置されていました。
現在のような温暖化ではなかったのですが、それでも真夏は夜でもかなり暑い室内でした。
窓を開けて寝ていてもほとんど風も入らず、蒸し暑い中で聞こえてくるのは監督部屋のエアコンの音ばかり。
そこで1年先輩のS氏が放った言葉が「頭にクーラー」
その2
会社に就職し親元を離れて熊本の工場へ。そこで独身寮に入りました。
数年前に鉄筋コンクリート造りに建て直したということで、きれいではあったのですが、狭い部屋でなまじ鉄筋建てなので隙間風も入らず、夏にはひどい酷暑となりました。
エアコンなどは設置されておらず、自費で付けるのは勝手だったのですが、まだまだ給料は安くエアコン価格は高い時代で、その当時20人ほどの寮生の中でエアコンをつけていたのは年上の人を中心に数人のみ。
私も会社にはいったばかりでほとんど貯金もなく、エアコンなしで生活することになりました。
それでも扇風機くらいは要るだろうと思ったのですが、それを買う金ももったいなく、寮内の物置に放置されていた年代物(おそらく10年以上)の扇風機を拾ってきて使うこととしました。
現在の扇風機のように高性能の軸受けベアリングが付いているといったものではなく、機械油の給油口が設けてあるという代物でした。
夜は窓全開、その反対側の入り口のドア全開しても風が通らず、ドアを開けたところにこの扇風機を置いて一晩中動かしていました。
それでようやく眠れたのですが、この扇風機が過熱して時々止まってしまいました。
するとすぐに暑さで目が覚めます。
そして慌てて機械油を給油してまた回し始めたという、情けない話でした。
その3
時ははるかに隔てて会社勤め最後の出向生活。
熊本から石川県の第3セクター組織に出向し、単身赴任生活となりました。
借りたのは木造アパートですが、さすがにその頃は居間にはエアコンが標準装備。
熊本とは比べ物にならない石川県ですが、それでも夏になるとかなりの暑さとなりました。
そのような夏もまっさかりのある日、なんとエアコンが故障、すぐに管理会社に連絡しましたが、部品の関係か人手か1週間ほど修理にかかるということでした。
あわてて電気屋に扇風機を買いに走りましたが、すでに真夏ということでほとんど在庫品もなく、数軒探してようやく箱も無しの展示品限りというのを見つけて買って帰りました。
エアコンが治るまでの日は長く厳しい暑さとなりました。
現在は各部屋にエアコン装備の我が家ですが、子どもたちが独立してしまった今となってはそのエアコンもほとんど使うこともなくなっています。