古語にも深く通じた宣長は古事記や日本書紀を研究し、古事記伝を表しました。
そこに見られる「皇国」観はその後も大きな影響を残すこととなります。
そのような宣長の「古事記伝」の中でも「皇国」について、詳しく研究したものが本書です。
古事記には「外国」といったものについての記述は極めて少ないのですが、日本書紀と比べてもその性格が表れているものです。
そこに着目し、外国との比較に陥ることすらなく皇国の至上を謳いあげていったものだということです。
中国や朝鮮の史書は知れ渡っており、その内容は宣長にとっても解釈に頭の痛い問題だったのでしょう。
そこで、彼は熊襲偽僣説を唱えます。
すなわち、後漢書や魏史に出てくる倭国の記述は、大和朝廷によるものではなくそれを偽りなりすました熊襲が送った使節だという解釈です。
それが後に邪馬台国の九州説を産み出したということです。
それまで影響するほどのものだったのでしょうか。
本居宣長という存在は非常に大きいもので、後世へも影響しました。
その中で非常に限られた範囲ではありますが、詳しい考証を重ねた内容だと見えました。
