堺屋太一さんといえば、数々の業績もあり、著作も多い方です。
最初は通産省の官僚となり、大阪万博の開催や沖縄海洋博なども担当しましたが、その後退職し、作家や評論家として活躍したものの、小渕内閣で経済企画庁長官として入閣と、様々な活躍をされました。
作家としての著作を見ると、現代小説もあるものの、歴史に題材をとった歴史小説も書いています。
この本はそのような歴史小説執筆の手の内を見せ、どのように歴史を調べ、扱い、作品を生み出すかという過程を説明すると共に、現代に生きる人たちにどのように歴史というものを使っていくかと言うやり方を教えてくれます。
ただし、あくまでも堺屋さんの興味は現代社会にあるようで、歴史上の出来事や人物を見る際も、現代における意味と組み合わせて考えているように見えます。
本書の各章は、歴史を「知る」「楽しむ」「練る」「企てる」「穿つ」「合わせる」「活かす」と名付けられ、それに沿った挿話を入れて分かりやすく説明しています。
歴史を「知る」の中では、日本での歴史教育で抜けがちな部分、「日本史」と「世界史」の比較がおろそかになるという例を見ています。
織田信長とエリザベス1世は同時代人であり、その時点での日本文化とヨーロッパ文化は大して差がないと言うことを強調しています。
しかし、その後日本は鎖国を実施し海外との交流を制限してしまいました。
日本の科学技術や産業経済が西洋と比べて大幅に遅れを取るのは18世紀の亨保時代に入って以降であり、幕府が体制の維持に汲々としている間に西洋では産業革命が起き、幕末になると大きな差ができました。
特に、軍事力の面で差が大きかったために、日本に対する圧力となり日本内部の争いも大きくなりました。
とは言え、その差ができた期間もわずかであったために、明治維新後の追い上げも早かったのでしょう。
巻末の歴史を「合わせる」という章になると、執筆当時の現代(2004年)と歴史との比較に焦点を合わせ、特に明治以降の歴史と第二次大戦敗戦後の歴史とを並べて見せています。
著者は小渕内閣、森内閣では閣僚として政治に参画していたものの、執筆当時の小泉内閣には距離を置いたために、小泉の政策への批判も多く見られます。
小渕内閣は、1931年に不況脱出の使命を帯び誕生した犬養内閣と似ているそうです。
犬養は大物の財政家高橋是清を大蔵大臣に迎え大規模な景気回復策を実施しました。
直ちに金輸出解禁の停止を実施、巨額の赤字国債を発行したため、日本経済はようやく一息つくことができました。
しかし、わずか6ヶ月後に5.15事件が勃発、犬養首相は暗殺されてしまいます。
小渕内閣も経済再生策を実施、(著者も参画)、軌道に乗りかけたところで、首相本人が脳梗塞で倒れてしまいました。
犬養内閣の後は、海軍大将の内閣が続き、そこでは「政治家を排除する政治」が行われ「官僚独裁」とも言える政治状況になっていきます。
それが戦争と敗戦につながっていきました。
小泉内閣も、政治から政治家を排除しようとしています。
彼は「族議員」の排斥に力を入れました。その結果、官僚の力を強くしてしまいました。
そして、その後の展開を見れば、戦前のように「近衛」の登場だけは避けなければならないと強調しています。
これが、どうも「安倍」の登場を予言しているようにも見えます。