内田さんのブログ「研究室」ではいつも思いもよらぬ方向からの思索があり驚かされます。
今回は「家父長制」について。
blog.tatsuru.comどうやら信濃毎日新聞に書かれているコラムのようです。
家父長制といえば封建制の代名詞のような扱いで、現代では唾棄されるべきものと見られているようです。
しかし内田さんの見るところ、実際の家庭では父親の権威は破壊されましたが、そのような家族関係というものは政治的な関係のモデルとして存在するものだというエマニュエル・トッドの説はしっかりと息づいていて、政治の世界や企業の中では生き続けているのだとか。
政治や企業の中で「トップダウンの決定」や「リーダーの独裁」などということを叫ぶ人間が、自分の家庭では父親の権威などは認めないと言っているということが共存しているのかもしれません。
新聞のコラムではとても一回では書ききれないので続きがあるということですが、どのような結論に向かうのでしょうか。
私の家でも亡父は大正生まれだったこともあり、家父長制の真っただ中に育ったせいか、かなりそういった雰囲気が強かったのですが、さすがに徐々にあきらめていったようです。
私も親の言うことなどほとんど聞くこともなく進路や結婚など勝手に決めましたし。
ただし、私の場合は家と社会とで判断基準が違うということもなく、会社のトップの権威などと言うものも大して重視しない姿勢で終始し、それがために出世もせずに終わりましたが。