爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「迫りくる核リスク 〈核抑止〉を解体する」吉田文彦著

ウクライナ戦争でプーチン核兵器の使用も示唆して脅しをかけています。

一方、核兵器禁止条約の締結を進めようとする国がある中、唯一の被爆国である日本はアメリカの核抑止政策に全面依存しているためにそれに賛同することもできません。

 

核兵器による核兵器使用の抑止、核抑止というものについて、多くの疑問が生じているのですが、それに寄りかかっている核大国はそれを見直すこともできません。

 

そういった現状、そこまでの経緯などについて、現在は長崎大学核兵器廃絶研究センターのセンター長である著者の吉田さんが詳しく解説しています。

 

第一部ウクライナ危機のインパクトの中では、第1章核による恫喝があぶり出したもの、第2章核不拡散条約と核兵器禁止条約、が扱われています。

核不拡散条約には参加している日本がなぜ核兵器禁止条約にはできないか。

 

第二部核抑止に潜む巨大リスク ではこれまでの数多くの核戦争へ危機一髪の事態、それが核抑止にもたれかかっていれば不可避であることを示しています。

第3章グローバル巨大リスク、第4章常在する偶発的核戦争リスク、第5章新興リスクの台頭、そして第6章北東アジアでの核使用のリスクと続けられます。

特に第6章では北東アジアにおいて核使用が勃発しうる状況について様々な事例の危険性を示します。

 

そして第三部が著者がもっとも主張したかったことと思われる、核抑止を解体する、です。

第7章核抑止の限界と脆弱性、第8章核抑止での日本の役割、と続けられ、核抑止論者たちがいかに脆弱な論理のもと主張を展開しているかを示します。

 

最終の第四部新たな安全保障へ、で今後取るべき方策を論じます。

第9章ポスト核抑止への戦略、第10章「人新世」で核兵器を淘汰する

 

核抑止が無効であるというのは、すべての当事者が自分と同じ価値観であるとは限らないからでもあります。

「全世界を敵に回してもわが民族だけ生き残れば良い」と考える指導者がいれば核抑止論は無効です。

さらに「私はそれで死んでも私の魂が天国に上がって神様のもとで永遠の命を与えられる」などと本気で考える指導者にも通じません。

それが核抑止論がこれまでもこれからも北朝鮮やイランに対して通じなかった理由でしょう。

 

核抑止の最大の弱点は核攻撃兵器を常にスタンバイしていなければならないことです。

そして数多くの探知装置も必要です。

さらにそれを担当する人間たちも多数必要です。

しかし、「機械は必ず故障し、人は必ずミスをする」のです。

そのため、これまでは核抑止の最大の効果例だと言われてきたキューバ危機も実際には核戦争勃発寸前まで行き、たまたま最後に歯止めがかかっただけであることが分かっています。

その他にも数多くの危険寸前の例がいくつも存在し、それぞれに何らかの故障、ミスが関わっていることが分かっています。

これまではそれが何とか抑えられていましたが、これからもずっとそうだとは言えません。

 

核兵器を使用するということにはまだまだ大きな心理的障壁があるのですが、今は新興リスクとも言うべき様々な攻撃方法が開発中です。

コンピュータを攻撃するサイバー攻撃は今でもおそらく実行されています。

それが核兵器管理システムへの攻撃となった場合、それに対する防衛として核攻撃を始めるということもあり得ます。

宇宙空間を無数に飛行している衛星は防衛システムの重要な要素であり、それが攻撃されても核兵器による反撃スイッチが入るかもしれません。

そのような衛星攻撃も各国が開発しています。

このような新興リスクが核兵器の使用につながる危険性は大きいものです。

 

日本の政策としてアメリカの核抑止に頼る「核の傘」ですが、かつてはその内容には全く触れるつもりもなく、完全にアメリカに任せきりとも言えるのが日本政府でした。

政府首脳も「その内容は知らないし知りたくもない」と公言していました。

しかし最近ではアメリカからの要請もあり日本の役割分担も増やされようとしています。

核抑止には二種類の抑止手段があり、「拒否的抑止」と「懲罰的抑止」です。

拒否的抑止とはミサイル防衛システムのように攻撃を受けた場合にそれらをすべて撃ち落とすことで防衛するとして、攻撃を断念させるものです。

懲罰的抑止とは、もしも攻撃してきたらそれをはるかに上回る反撃をするぞという姿勢を見せることで同様に攻撃させないものです。

これまでは拒否的抑止には日本も関与するとしていたものの、懲罰的抑止は完全に米軍任せで日本はできないことにしていました。

しかしこの分野でも日本の存在感を増そうとしているかのようです。

 

第6章の「北東アジアでの核使用リスク」では、著者のいる長崎大学核兵器廃絶研究センターが米国のノーチラス研究所、韓国のアジア太平洋リーダーシップネットワークとの共同研究で行った北東アジアでの核使用が想定されるケースについての研究例が説明されています。

様々なケースが取り上げられており、全部で25の核使用ケースを想定しています。

そこでは北朝鮮だけでなく、それに対してアメリカ、さらに中国、ロシアの核使用の可能性、その後の展開なども予想しています。

まあ、そうなったらもう駄目だなというのが感想です。

いずれの場合も緒戦から日本攻撃などと言うことは無いようですが、その後すぐにアメリカ軍の攻撃、その反撃となって結局は北東アジア全滅ということになりそうです。

 

最後の章でなんとか核兵器廃絶を進めなければとしていますが、どうもできそうには思えません。

「使用リスク」が実際になりそうに思えます。