現在、日米関係は強固な「日米同盟」であると言われます。
しかし、その実態は〈核〉を中心とした「日米核同盟」であるとも考えられます。
太平洋戦争の終わりに人類史上初めての核爆弾を落としたアメリカと、落とされた日本が戦後は一転して同盟関係となりましたが、その核となるのは〈核〉でした。
(どうしても書きたくなったダジャレ)
その隅々に至るまで、共同通信編集委員の太田さんが公文書と関係者の聞き取りをもとに書き上げました。
アメリカの世界核戦略にしっかりと取り込まれ、核兵器配備の一翼を担うとともに、原子力の平和利用と言われる原発の設置に突き進んだ日本ですが、それを大きく揺さぶる出来事が相次いでいます。
福島原発事故では、アメリカは最悪の事態を予測し、勝手に上空からの放射線濃度を測定したうえで在日の米国人の脱出も計画していました。
また、日本側が手に負えなくなった場合を想定し処置の準備も進めていました。
世界核戦略の盟主として当然の行動ですが、その中で日本政府との食い違いも明らかになります。
さらに、事故後に日本政府が原発撤退の動きを見せると、それが日本の核燃料再処理事業との関わりをどう整合させるか、複雑な問題となっていきます。
二度の原爆被爆をした日本は、核兵器に対する拒否感は強いものです。
しかし、当初の計画と異なり共産勢力と対峙するようになったアメリカは、核兵器による抑止をせざるを得ず、その重要な拠点として日本を使うことになります。
この「核の傘」理論は日本政府も受け入れる一方、「非核三原則」も国是としてしまい、その矛盾をなんとかすり合わせることに苦労することとなります。
アメリカが日本に差し掛けた「核の傘」は、日本に寄港する空母などに搭載する核兵器、沖縄に配備された短・中距離戦術核、そしてアメリカ本土に配備されたICBMや西太平洋の原子力潜水艦のSLBMからなりました。
このうち、核搭載艦船の日本寄港は、非核三原則中の「持ち込ませず」に抵触するということで問題となります。
実は、1953年に調印された日米安保条約(旧)では米軍が日本に駐留、寄港、通過することに対し何ら制限はありませんでした。
しかし、1960年に改訂された安保条約(新)ではこれらの場合の事前の日本との協議が定められます。
これが安保改定の目玉であり、日本政府の強い要望で入れられたものでした。
しかし、アメリカ側は軍隊の装備について公開することはなく、この事前協議制度もまったく実体のないものでした。
この事前協議の対象から核搭載艦船は除くということが当時の「機密討論記録」にあり、これが「密約」とされるものです。
密約は無いというのが日本政府の見解であり、歴代の政権はすべてこれを踏襲してきました。
民主党政権になった時、これは明らかになったのですが、さすがの民主党もこれを全部否定することはできず、曖昧な姿勢でいる間に政権は崩壊しました。
非核三原則を主張したということで、ノーベル平和賞を受賞したのが佐藤栄作ですが、実は佐藤はこの非核三原則を邪魔者扱いしていたようです。
外務省官僚を相手に「持ち込ませずは誤りだったと反省している」と発言しています。
さらに1969年に在日米大使のアレキシス・ジェンキンスの前で「非核三原則はナンセンス」と発言してしまったということです。
福島原発事故により、原発の将来は極めて暗いものとなっていますが、「核燃料サイクル事業」自体は明確に廃止などといったことにはなっていません。
使用済み核燃料を再処理し、プルトニウムを取り出してそれをプルサーマルとして一般原発の燃料としたり、高速増殖炉を運転させて、核物質の長期利用を可能とするものです。
しかし、原発の縮小が避けられない以上、核燃料サイクルも先がないことは明らかです。
ところが、このプルトニウム製造ということは、核兵器につながるということで世界的にはほとんど核兵器保有国以外で行っていません。
アメリカが特例的に日本に許したというものです。
そのため、イランなども「せめて日本並みに」と希望してやっているのがアメリカとのトラブルの根源です。
韓国も「日本の特別扱いは遺憾」と言い続けています。
このような「特権」とも言える日本の再処理ですが、これをプルサーマルで原発燃料に使うという理由がなくなれば、この特権も無くならなければならないはずです。
ところが、日本ではこの巨大事業を政府自らが停止するということはできません。
そうなるとこれまでの巨額の支出が無駄になるということで、政権の責任を問われることとなり、内閣総辞職くらいでは収まらなくなるからという、いかにも日本的な理由からです。
アメリカ政府もこの点は憂慮しており(オバマ政権時)日米関係の問題点となっています。
戦後の日米関係と言うものの大きな柱が核ということなのでしょう。
簡単には動かしようもないように感じます。