爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「いったん吸収された二酸化炭素」がどうなるか、そこに意識が向かわないのはなぜか。

二酸化炭素悪者説といった風潮が世の中を広く(ただし先進国だけ)覆っているように見えますが、そんな中、「海藻に二酸化炭素を吸収させる」ブルーカーボンというものが期待を集めているようです。

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確かに数億年の昔に大気中の二酸化炭素を食い尽くし、海中に埋もれさせたのは当時の微細藻類、言ってみれば海藻の仲間です。

そしてそれが大気の寒冷化をもたらしたのですが、ここで言われているブルーカーボンなどと言うものはそのような壮大なものを指しているわけではありません。

せいぜい、海岸の少し海藻が乏しくなったところに海藻の生育を助けるようにして増やしましょうという程度の話でしかありません。

そのような施策でもタダではできない。

かなりの金と手間、そしてエネルギーもかけて行われるのでしょうが、それに見合う成果はあるはずもありません。

 

しかしその規模が情けないほど少ないということ以上に問題なのは「いったん固定した二酸化炭素をどうやって保持するのか」という問題を全く考えていないかのようなところです。

海藻も植物、多くの栄養源とともに二酸化炭素を固定化して炭化水素とし植物体を構成します。

しかしそれも海藻が生きている間だけであり、死ねばまた分解することになります。

その分解を防ぐために繁茂した海藻は海底の土壌を掘り返して地中に埋め込むのでしょうか。

それでも分解が起こらないかは怪しいものですが、そういったことすら考えていないのでしょう。

 

とはいえ、実はこういった思考の欠如というのは海藻ばかりではありません。

二酸化炭素吸収の大規模な方策として「植林」すなわち陸上に森林を作ることが計算されています。

しかしこれで成長した森林もいつまでもそのままではありません。

数十年、数百年たてば植物でも枯死し分解するはずですが、そんな先の話など誰も考えようともしません。

下手をするとそうやって植林された木をチップにして発電に使いそうです。

それはもう植林した時に二酸化炭素固定として計上されているから、もし燃やしたら二重取りになるということすら頭にはないのでしょう。

 

科学というものの全体像すら想像することができない。その醜態そのものでしょう。