最近は脱炭素化という言葉が社会のどこでも聞かれるようになり、政界でも経済界でも皆がそちらに向かって走り出そうとしているかのようです。
ただしその方向性も手段も極めて怪しく、せいぜいグリーンウォッシュとしか言えないものも多いようですが。
しかしこういった風潮はほんの少し前までは存在しませんでした。
京都議定書で二酸化炭素排出を抑えることとなろうが、温暖化危機をだれが叫ぼうがほとんど反応もしないようでした。
この本はそういった社会に対して「グリーン資本主義」を強く主張していた佐和さんが愚かな人々を啓蒙しようと2009年に著したものです。
二酸化炭素の大気中濃度の上昇により温暖化が起き気候変動をもたらすという筋書きはすでに提唱されていましたが、まだそれほど緊迫した状況ではないといった感覚があり、その対策として脱炭素化施策を行った場合には経済成長に悪影響が出るのは必至というのが大方の考え方でした。
それに対して「グリーン資本主義」つまり脱炭素化技術を推し進めることで経済成長と環境対策が同時に成し遂げられるというのがこの本でも語られています。
その方向に向いてしまったのが現状であり、本書著者も今はしてやったりと思っているのかもしれませんが、その危うい状況というのは現在でも隠し通すことはできません。
現実化したがゆえにさらに問題を大きくしているともいえるでしょう。
なお、これまであまり「京都議定書」というものについて考えることもなかったのですが、この本で詳しく紹介されていたので今更ですが読むこととなりました。
するとあの「植林」を二酸化炭素固定とみなすといういい加減極まりないものがここに出ているということがわかりました。
京都議定書の要点を11点にまとめられているのですが、その3に、「1990年以降の植林、再植林された森林の二酸化炭素吸収量を排出削減とみなし、植林伐採を排出とみなす」とされています。
つまり、森林が生育状況である間だけの一時的な二酸化炭素貯留であることが明記されています。
森林は永久に生育を続けるわけではなく、人為的に伐採されなくてもいずれは枯死するでしょうからこれを二酸化炭素排出削減とするのはあくまでも一時的であるはずです。
このようなものを二酸化炭素固定として計算するのが「実質的二酸化炭素排出」の欺瞞です。
森林の伐採まではせいぜい数十年でしょうが、その頃にはどうせ自分は死んでるだろうといった程度の認識しかないのでしょう。
まあ予想通りの内容の本でしたが、得るものはありました。