八代市立博物館の友の会の会員になっていますが、その総会および特別講演会が開催されたので出席してきました。
八代市立博物館は改装工事のためこの7月からおよそ2年間休館するということです。
その間は友の会も休会となりますが、会費は払わないものの会報は作成し送ってくれるということです。
また工事が2年間という長期になるのは、多くの収蔵品をどこかに保管するのではなく、館内で移動しながら工事を進めるということで手間がかかるためだということでした。
しばらく展示を見ることもできませんが、工事完了を待ちたいと思います。
続いて特別講演会ですが、今回は博物館の館長の松井葵之(みちゆき)さんの「先祖に思いをはせて」というものでした。
松井家は肥後細川藩の家老の家柄ですが、江戸時代初期から八代城を預かり幕末まで城主でした。
江戸幕府は一国一城を原則としていましたが、肥後藩だけは薩摩藩を警戒するために八代城の設置を許したものでした。
松井家は武芸にも優れていましたが文芸にも力を入れ、多くの文書や絵画なども収集していました。
それらの文物を松井文庫として保管しており、それを基にしてできたのが八代市立博物館だったのです。
博物館の展示も松井文庫の品々が主であり、さらに国内の多くの博物館からの依頼により貸し出して先方での展示会開催ということも行われています。
そういった話題や先祖のエピソードなど、巧みな話術での松井館長の講演でした。
(講演資料より)
エピソードの中からいくつか。
細川忠興の正室ガラシャは関ヶ原の戦いの前に西軍に人質とされそうになり自害(キリシタンのため自害はできず家来に切らせた)したのですが、その位牌は細川家により長く祀られてきました。しかし現在は松井家の菩提寺八代の春光寺で預かっているそうです。
細川家の現当主、細川護熙氏(元首相)は松井さんの従兄に当たるのですが、松井さんが細川家の鎌倉の家に住んでいた頃一緒だった時期がありました。
休みの日に誰もいなかったので、護熙さんが「三崎に寿司を食べに行こう」と誘い、一緒に出掛けたそうです。
寿司屋で一人前ずつ食べた後、もう少し食べたいといってもう一人前頼んだのですが、それが来ると護熙氏は「君はご飯が好きだろう」といってすし飯は松井さんへ、自分は上の魚だけ食べたそうです。
なかなか興味深い話でした。