爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「日本語の発音はどう変わってきたか」釘貫亨著

日本語の発音はかなり変化してきたということは断片的には聞いたことがあり、「ハ行」の子音は古代には「パ」、中世には「ファ」と発音したなどといったことは知ってはいましたが、それ以外の多くの事実には本書で初めて触れることができました。

そして、発音の変化というものは長く起こり続けていたために、多くの学者たちもそれに振り回されたかのように見えるという事態も数多く存在したということも知ることができました。

なかなか、奥の深い分野のようです。

 

なお、「はじめに」で著者が書いているように、「本書の目的は単に古い発音を復元することではない。昔の日本語の音声がどのような要因で、どのような経過を経て現代語の音声に近づいたのかを明らかにすることにある」と非常に壮大な目的があったようなのですが、さすがに新書版では入れ切らなかったかもしれません。

大部の解説が必要なのかも。

 

中国から伝わった漢字を使って日本の言葉を書き表す。

そういった大変な作業を行ってきたわけですが、その過程が分かるのが万葉集などに用いられている万葉仮名です。

漢字の読み(音)で日本の言葉の発音を表すのですが、漢字の読み自体が変わっていない訳ではありません。

漢字の音読みの変遷というものが一つの研究課題ともなるような事態の中、万葉仮名で表していた当時の漢字の読みはどのようなものか、それを推定していかなければ元の大和言葉の読み方も決定できません。

 

運が良いことに?、中国の唐代の文字の読み方というのは中国の後代の学者の研究テーマとなりました。

唐代の漢詩などを研究する過程では漢字の当時の読み方というものが重要なのですが、すでにかなり変化している中でその昔の読み方を復元していくのは重要なことになりました。

日本の万葉仮名の研究にその研究の成果が重要な参考となったのです。

 

奈良時代には万葉仮名の使用法もそれなりの解決に至り、安定してきました。

それを見ていくと、奈良時代のハ行の発音はパ行に近かったこと、サ行はツァに近かったことが推定されます。

かつて、某商品のCMに「ちゃっぷい、ちゃっぷい、どんとぽっち」というのがありましたが、それが意外に奈良時代の発音に近かったということです。

さらに奈良時代には母音が8つあった形跡もあります。

五十音のイ列、エ列、オ列の表記がはっきりと2種類ずつに分かれており、その混用はされません。すなわちそれぞれ別の発音をしていたことを示します。

ア列、ウ列は一つのようですので、結局は8つの母音の種類があったようです。

しかしこれはその後すぐに消滅して1つずつの母音に集約されていきます。

それを示すのも文献資料であり、「表記の間違い」が頻発するようになって、実際の使い分けができなくなっていく事態が現れてきます。

 

平安時代初期には平仮名の使用が急激に増加し、公文書のようなものは別として和歌だけでなく散文も平仮名だけで記述されるようになります。

そして日本語の歴史の中でも異例の事情ということになるのですが、それが「言文が完全に一致」していた時代だということです。

つまり聞いたとおりにすべてを書いていたということで、「仮名遣い」というものもなく、漢字の使い分けというものもしませんでした。

 

しかしそのような幸福な時代はすぐに変化していき、平安時代後期には「い・ゐ」「え・ゑ」「お・を」の音が合流してしまいます。

つまりそれまでそれぞれの発音通りに書いていた言葉が形の上で使い分けしなければならなくなります。

 

鎌倉時代になり、藤原定家平安時代の古い写本を整理したと言われていますが、実は彼の業績というのは「鎌倉ルネサンス」とでも言うべき程大きなもののようです。

平安時代の古写本、源氏物語なども定家が写し直したと言われていますが、実は古写本はおそらくすべて平仮名で書かれていたはずであり、それを定家が漢字交じりに写しなおしました。

それは単なる写本とは言えず、半分創作のようなものですが、そうしなければすでに同時代人は平安時代中期以前の文章を理解するのが困難になっていたためのようです。

しかし、これ以降写本の表記のずれというものも発生し、その解釈というのが古典文学読解の重要な要素となっていきます。

 

室町時代後期、ヨーロッパからキリスト教布教のために宣教師が多数訪れるのですが、彼らが日本語と母国語(ポルトガル語)の辞書を作ったということが極めて大きなことになっています。

ポルトガル語の発音も今と全く同様とは言えないのですが、日本語よりはるかに変化が少なく、現代から振り返って実際の日本語の発音が記録されている貴重なものです。

その中で触れられているのが「じ・ぢ・ず・づ」の合流というもので、すでにこの使い分けがされなくなっている状況が明記されています。

 

江戸時代には古典を徹底的に解明しようとした学者たちが、日本語の発音の変化、そして表記の変化ということに気が付きます。

契沖、本居宣長という、少し京都などの中心部からは離れたところの学者たちがこの本質に気付き本を書きますが、中心部の学者たちからは全く無視されてしまいます。

その重要性はかえって明治以降の文学者たちに再発見されたようです。

 

発音の変化というものはそれだけが起きるわけではなく、言葉の変化と密接に関わりながら変わってきます。

現代日本語もまた変わっています。

大きな問題なのでしょう。