日中間の軋轢が高まると、中国側からよく「歴史認識」が問題であると指摘されます。
確かに日本側の中国侵略についての認識はあまりにも甘すぎるところがあるとは感じられますが、しかし中国側の主張も厳しすぎるという感がするのも多くの日本人が共有する感覚ではないでしょうか。
しかし、どうやらそういった「歴史認識」という観念は、日本に対するものだけではなく欧米の各国にも同じように中国からは投げかけられているようです。
そういったものがどのように作られてきたのか。
著者のワン・ジョンさんは、中国の出身ですがアメリカに渡り長く中国の対外政策についての研究をされてきました。
中国での幼児教育から受けその経験も踏まえているため、なぜ中国人が深くナショナリズムに囚われているのかもはっきりと認識されているようです。
なお、この本は著者の現在住んでいるアメリカなどの読者に対して書かれているもので、その後日本語訳されて出版されました。
中国の対外認識のかなりの部分は日本が関わって形成されていますが、本書ではまず欧米とくにアメリカの読者を深く意識されて書かれており、日本についての記述は少し薄いものとなっているようです。
それでもさすがに日本の教科書問題等は触れてありますが、多くはアヘン戦争以降の欧米諸国との中国の関係性が主題となっているようです。
しかし、長く続いた日中戦争が現在まで大きな影響を及ぼしているのは確かですが、中国にとってはやはりイギリスやアメリカなどとの関係が大きかったとも考えられますので、日本が脇役になるのもふさわしい扱いとも言えるのかもしれません。
中国人の意識の中では、その長い文明の歴史を中国の栄光と感じることが非常に大きな位置を占めています。
その典型的な例が2008年の北京オリンピックの開会式のセレモニーに見られました。
それは4000年前の伝説的な王朝、夏王朝の頃から伝わると言われる「缶」という楽器の演奏から始まりました。
それに続いて、中国が生み出した偉大な発明、紙、羅針盤、火薬、印刷術を紹介するパフォーマンスが行われました。
そのような、世界に冠たる文明の中国というものを誇らしく見せたのです。
しかし、近代に入ってからの中国は欧米や日本からの侵略にさらされました。
それを中国では「国恥」と呼び、常にそれを意識しています。
アヘン戦争に始まり、ヨーロッパ各国から侵略され、植民地として各地を奪われ、そして属国のように考えていた日本に蹂躙され、さらに朝鮮戦争でアメリカに侵略されました。
その恥をはらすということが常に意識にありました。
ただし、中国も共産党が政権を奪取し国を作り出した当初からしばらくの間はそのような国恥も意識はあってもまず何とか国民を食べさせるということもままならないほどで、ギリギリの状況が長く続いてしまいました。
ところが、ようやく国の状態も安定したところでソ連を中心とする共産主義国家の崩壊が起きたわけです。
これが中国の政権にも大きな影響をもたらしました。
共産主義を指導する前衛として、中国国民を指導するというのが中国共産党の存在理由であったのですが、その共産主義自体がもはや頼りにならない存在になってしまいました。
中国共産党も資本主義的政策を取り入れることになったのですが、それでは共産主義の前衛であるという共産党の存在理由自体がなくなってしまいます。
そこで、共産党が取り入れたのが「ナショナリズム鼓舞」だったのです。
1991年以降、中国共産党は共産主義という旗を降ろし、愛国主義を採用するしか道はありませんでした。
当時は江沢民が党総書記でしたが、「愛国主義の旗の下で団結せよ」と呼びかけました。
そして、共産党を「最も断固たる、最も徹底した愛国主義者である」と演説しました。
共産主義に代えて、愛国主義を党の存在理由としたので、それを国民全体に広めるしかなかったのです。
しかもその頃から農村から都会への労働者の移動が拡大しました。
彼らには共産党の統率がほとんど行き渡らなくなりました。
その人々に呼びかけるにも分かり易い愛国主義というものが必要だったのです。
もちろん、学校での愛国主義教育も徹底して行われました。
そのため、現在でもナショナリズムの呼びかけに最も強く反応するのが若者たちになっています。
政府主導の反米、反日デモにも多くの若者が参加します。
彼らは実際に日本やアメリカに蹂躙された歴史は直接は経験していません。
しかし共産党の愛国主義の呼びかけに多くの若者が従っています。
そこで金メダルを獲得した選手には多くの報償が与えられました。
これもかつて劣等民族と見下されたことに対する報復の意識の表れでした。
そのため、金メダルでなければ意味がなく銀メダル以下の選手には非常に少ない称賛しかありませんでした。
しかし、このようなナショナリズム優先を続けていけばいつまでたっても各国間の融和などあり得ません。
そこで、著者は2002年に行われた、日中韓で共同して実施された「歴史教科書の共同執筆」についても触れています。
現実に作られている各国の歴史教科書は、それぞれの立場で書かれておりそれぞれが全く異なる内容となっています。
それをできるだけ近づけることはできないかと言うことで各国の歴史研究者が集まって一つの本をまとめました。
完全なものではなかったにせよ、その時点ではかなり努力されたものができました。
しかし、それを活かすという状況にはならなかったようです。
とはいえ、こういった努力が各国間の摩擦を和らげることにつながるのでしょう。
歴史は確かに見る人によってまったく違う像を描き出すようです。
中国も共産党の都合でそれに沿った歴史が作られています。
それを知った上でどうするのか。
真実を語るだけが解決の道ではないのでしょう。