著者の深谷さんは長年高校の国語教諭を勤めてきましたが、生徒の作文指導には困っていたそうです。
課題を与えてそれについて書けと言ってもほとんど文章が書けない生徒たちばかりでした。
そこで、教室に一冊のノートを置き、誰でもいつでも、何についてでも書いてよいということにしたところ、徐々に皆が書き始めるようになったそうです。
そのノートの名前が「カキナーレ」、もともとの意味は「書き慣れ」ることを望んでの命名ですが、何となくイタリア語っぽくていいかなというものでした。
この活動を8年間やった後、その中の文章をまとめて本にしたそうです。
著者は高校退職後、大学に移り教員を目指す学生たちの指導にも当たったのですが、そこでも同様のカキナーレノートの活動を行い、大学生たちの本音も収集しました。
この本では高校生・大学生が書いた文章の中から選び、それに自分の感想を加えてまとめています。
時期はやや古く、高校生が1990年代、大学生が2000年頃から2010年頃までとなっており、最近のその年代の本音とは少し違うかもしれません。
思春期から青年期ということで、どうしても恋人や友人などの人間関係、親や兄弟と言った家族関係、日常生活、そして社会一般に対する見方等々、「なんでもいい」というノートの趣旨の従い幅広い内容となっています。
ニュースなどで流れる若者たちの姿の中には、はるかに年の離れた者から見ればまったく想像もできないようなものもあるようですが、この本に見られる彼らの本音というところは自分とも共通する感性がまだあるということが感じられます。
おそらく同年代の中でも個人差が大きいのでしょうが、それは彼らばかりでなく私たちのような年寄りの間でも同様なのでしょう。
中の文章から1つだけ。
98年当時に高3だった女性の文章です。
私はもうすぐ18歳、大人は私の残りの人生を「未来」と言うだろう。
私はいつか68歳、周りは私の残りの人生を「余生」と言うだろう。
人間はいつから未来?人間はいつから余生?私はずっと未来と思いたい。
未来と余生、本人次第。私はずっと未来である。
なかなかしっかりとした内容でなおかつ深い意味が込められています。
いつまでもその気持ちが持てたら良いのですが。
なお、私の場合はちょうど「68歳」ですが、「余生」などと考えたことはありません。