植草甚一さんは映画やジャズ、文学などの評論で有名でしたが、1979年には亡くなっています。
この本はそういった植草さんがあちこちに書き残していた文章を内容別に「植草甚一スクラップ・ブック」というシリーズにまとめたもので、1977年に出版されたものの中の一冊です。
15冊が発行されていますが、その内ジャズ関係は4冊、「モダンジャズの楽しみ」「バードと彼の仲間たち」「ぼくたちにはミンガスが必要なんだ」という3冊と並んで、マイルス・デイビスとジョン・コルトレーンに関する文章を集めたものです。
それらの初出はだいたい1960年頃から1970年代半ばまで、ただしコルトレーンは1967年に亡くなっていますのでその時期が最後となります。
マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーン、どちらもモダンジャズの巨人というべき存在でしたが、この時期はどちらもバリバリの現役でしかも次々と問題作・話題作を連発していた時期でもあります。
それを「マイルスの今度の新曲はすごい」という形での文章を書いていた植草さんと言う存在はすごいものだと思います。
私もこの少し後の時期、1970年代半ば以降にジャズをよく聞くようになったのですが、その時にはすでにマイルスもコルトレーンも「少し前の人」になり、その名作も「すでにレコード屋に皆並んでいる」状態でした。
したがって、そこから昔を振り返ることは可能でしたが、現在形で見るということがもはやできない(コルトレーンは特に)ものとなっていました。
マイルス・デイビスはその演奏形態を次々と変え続けました。
本書にも紹介されているように「1945年のビーバップ全盛時代から25年後の現在でもまだ前進し続けているのはついにマイルス・デイヴィスしかいないということになった」
というのが間違いのないところでした。
ビ・バップ時代のマイルスについで、1950年代のクールなマイルス、ほぼ5年の周期で変わり続け、1955年頃はコード主義のマイルス、1960年頃からはモード主義のマイルスと変化していったと記されていますが、この文章を書かれていたちょうどその頃はマイルスがニューロックへと近づいていた頃であり、さらに変わっていきました。
この本はまだその中間段階でしかなかったということでしょう。
コルトレーンの死は植草さんにとってもかなりの衝撃だったようです。
「それはハプニングだ」と、少々古びた表現ですが。
私がジャズと言うものを聞き始めた時にはすでにコルトレーンは居なかったわけですが、そのレコードを振り返りながら聞くというのは遅れてきたものの特権ということでしょう。
しかし同時代で聞くことができなかったというのはそれ以上に悔しいものだったのかもしれません。
久しぶりに読んだ本ですが、以前は分からなかったことが分かるようになっているのかもしれません。