「文豪」とはもう今ではあまり聞かない言葉ですが、巻末の著者の解説によれば少なくとも明治時代に生まれた作家だということです。
そしてそれは「剣豪」と対となるものであり、剣術および文章に対するに厳しく鍛錬された精神を伴っていたということです。
そういった文豪は「謝罪文」を書くにもその文章力を遺憾なく発揮していた。
それが、借金の申し込み、締め切りを守れない言い訳、浮気の相手へ、さらに文豪同士の手紙での喧嘩であっても。
そのような謝罪文の例を紹介しています。
借金の部では、太宰治、坂口安吾、北原白秋、萩原朔太郎、その他
文豪対文豪の部では、小林秀雄から中原中也、太宰治から川端康成、今東光から菊池寛
不倫の言い訳の部では、北原白秋、広津和郎、斎藤茂吉、石川啄木といった面々です。
夏目漱石と正岡子規は東京大学予備門で同級となって以来の親友でした。
松山中学に赴任した漱石の元には子規が居候していたのですが、勝手に鰻のかば焼きを注文しておいて「君払っておいてくれたまえ」と言うだけという間柄でした。
その子規が漱石に送った手紙の中に「恩借の金子」という言葉があります。
普通であれば「拝借の金子」とするところですが、子規はあえて「恩借」という言葉を使いました。
恩という、「心に深くのしかかる」印象を持たせる字を使うことで「本当にあなたから貰ってありがたい」という気持ちを伝えたいとしたものです。
中原中也は日記の中で周囲の人々の痛烈な悪口を書いていました。
日夏耿之介は馬鹿。あの詩は空腹の沿革の形象だ。
堀口大学、おまえがどうして男と生まれてきたやら。(中略)その意気地とは蓋し品性下劣に関する。
野口米次郎、この馬鹿め。暗唱と女々しさと情熱のない持久性と。それきり。
悪口でありながら、ことば選びは的確でかつ、詩的なイマジネーションもある。と著者は認めています。
文豪同士の文章での喧嘩というのも面白いものです。
太宰治対志賀直哉では、太宰はすでに文壇の重鎮となっていた志賀を徹底的にこき下ろします。
志賀もまともに相手をしているのがすごいところです。
今東光と菊池寛の喧嘩も、菊池が学歴重視であるのに対し今が在野の知識人であったため菊池が軽んじたのが発端のようです。
その確執に関わっていたのが直木三十五ということで、今は芥川賞、直木賞という大きな文学賞とそれを出している文藝春秋という場が生々しい論争の舞台であったというのも面白い話でした。
こういった人間的な場面でも文章にこだわるのが文豪という存在だったのでしょう。