「学燈」(まだあるんだ)に掲載された文章ということです。
「学ぶ」ということについて。
「学ぶべきこと」という題に対し、素直に「学ぶべき事柄」を論じるのではなく、「学ぶ」ということ自体を考え直す方向に持っていくというところがいかにも内田さんらしいところでしょうか。
最初に「呉下の阿蒙」という言葉についての解説から入ります。
中国三国時代の呉の武将、呂蒙が主君の孫権にお前は学問がないと言われたのに発奮し、学問に励んだところ見違えるほどの人物となり、同僚の魯粛に「かつての呉下の阿蒙ではない」と驚かれ、それに対し「士別れて三日、すなわちさらに刮目して相待すべし」と答えたという故事から生まれた言葉です。
ここから考えるべきことが、「学ぶ」ということは「人間が成長し別人となること」だということです。
かつてはこの言葉を使って若者を教え諭す年長者がいた、しかしこのところ絶滅しました。
それは、このような言葉を知らなくなったということもあるのですが、それ以上に「学ぶ」ということの意味が変わってきてしまったのではないか。
かつては「学ぶ」ことにより「別人のように成長する」ことがあった。あるいは期待された。
しかし、現在ではそのような「学ぶ」機能は考えられず、ただ単に「知識を補充する」だけになってしまったのではないか。
これはかつてのような、教育というものが農業のように種子をまき育て成長させるといったイメージでとらえられるのではなく、工業のように集めた素材を工程表に従って製品に仕立てるだけのものに変えられたためではないか。
それを内田さんは大学の教員になった頃、シラバスを作るように強制されたことによって実感しました。
シラバスでは講義内容を準備し、それをすべて伝えることが義務化され、それだけでなく「それ以外の雑談」などはしてはいけないことになってしまいました。
それでは学生たちは居眠りするしかありません。
そしてそのシラバス厳守ということは、学生たちとの教育という商品取引における契約書のようなものだと言われて、さらに内田さんの怒りが募りました。
教育というものはそのような商取引ではないということです。
内田さんは武道もやっており、そこでの「修行」というものにも慣れ親しんでいますが、この修行というものが教育においても重要であるとしています。
しかし現在の教育システムにはこのような修行の入り込むところはありません。
そこが問題ということでしょう。
教育というものの根本課題を示してくれるものでした。
私の経験した60年近くも前の受験戦争など、今の学習塾予備校の体制から見ればのどかとしか言いようのない程度のものでしたが、教育というものでは無かったという点では今も昔も同様でしょう。
学校教育でより効率的になどといってIT化、産業化が進められるのもまったくおかしいと感じますし、諸外国の実情も聞けば聞くほど驚きます。
どのような教育が良いのか。