福島原発事故の少し後に小泉純一郎元首相が「原発ゼロ」を言い出したということは大きな衝撃を持っていました。
政界を引退し直接的な影響力はなかったとはいえ、まだかなりの注目度を持っていた小泉元首相だけに、それまでは反原発と言えば「左翼」と結び付けて考えられるという風潮があった中で、政財界の主流派と見られる人からの発言は反原発派を力付けるという一面もある一方、戸惑わせるものだったのかもしれません。
その後、細川元首相がそれと同調するという動きはあったものの、いつの間にか立ち消えになってしまったかのようです。
小泉元首相は福島原発事故以降、原発と言うものを見直す姿勢は見せていたようですが、それが本格的に発出したのは2013年に毎日新聞で山田孝男編集委員が小泉元首相の発言として発表してからのことでした。
この本はその翌年2014年の出版ですので、まだ発言の勢いも残っていた頃でしょうか。
小泉元首相の原発に関する発言の記録、そして池上さんが当時教鞭をとっていた東京工業大学の学生たちとの討論録、さらに発言を最初に報道した毎日新聞山田孝男さんとの対談と続いていきます。
さらに細川護熙さん、吉原毅さん、末吉竹二郎さんのインタビューも掲載しています。
吉原さんは当時城南信用金庫の理事長でしたが、原発廃止の声を早い時期に大きく上げたことで知られていました。
小泉さんの反原発の最大のきっかけは、フィンランドの最終処分施設オンカロを視察したという体験がありました。
世界でも実用段階に達している最終処分場はこれだけですが、フィンランドと言う非常に安定した地層で作られるという、最高の条件を備えたところです。
しかしそこでもフィンランドの原発4基分のうち2基分の廃棄物しか収めることができないとか。
そのような事情を知るにつけ、日本では最終処分場の設置は不可能であること、そこから小泉さんの反原発は確信となったようです。
なお、池上さんがオンカロを視察した際、そこの自治体の市長さんにインタビューする機会があったそうですが、この施設を作ることで国からの補助金はどれくらい出たのかと聞いたら全く無いと答えが来たそうです。
誰かがそれを作らなければならないから受け入れたということで、その市長はじめ地元の人たちの意識の高さに驚いたということです。
福島原発事故の後に高まった反原発の雰囲気も今ではすっかりしぼんでしまったようです。
しかし状況は全く良くはなっていません。
特に最終処分に関しては何も進展しないにもかかわらず脱炭素やエネルギー価格高騰といった事情だけでまた動き出しているようです。
よく考えようとしないという日本人にはつくづく感心するばかりです。