爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

参議院の選挙制度

今のうちに書いておかないと賞味期限が切れそうなので押し込みましょう。

 

参議院というものの存在意義はその選挙制度も大きく関わると思いますが、なんともおかしな制度となっています。

 

現在では選挙区と比例代表制を組み合わせたものとなっています。

それでどういった理念で国民の代表を選ぶのか、まったく見えてきません。

衆議院も同様ですが、何かこねくり回している間に異型の制度ができてしまったという感覚です。

 

参議院選挙制度の変遷というものが当の参議院から公開されています。

 

www.sangiin.go.jp

戦前の大日本帝国憲法時代から二院制が採用され、当時は選挙制の衆議院と勅撰の貴族院であったものが敗戦後に貴族院が廃され参議院となりました。

 

その選挙制度は最初は全国区と地方区の並立制でした。

全国区は定数100,地方区は定数150で都道府県の区域ごとに定数を定めるものでした。

当時は各都道府県の定数が2から8(ただし半数が改選)でした。

その後、昭和57年に全国区が廃され拘束名簿式比例代表制となりました。

さらに各選挙区の人口が偏ってきたため定数の是正、そして削減。

平成12年には非拘束名簿式比例代表制への変更。

さらに定数是正を重ねるも、都道府県単位での是正では追い付かなくなり平成27年には初めて合区という手段を採用します。

つまり、島根・鳥取、および徳島・高知を合わせて一つの選挙区としたわけです。

 

現在の選挙区の定数は、2人から12人まで。

半数改選ですから、一人区から定数6の東京までが混在することになります。

 

全国区という選挙制度も記憶がありますが、結局のところ名の知られたタレント候補ばかりが有利となりほとんど選挙運動もできないという矛盾に満ちたものでした。

しかし現在の比例代表制も政党の人気に左右されるだけのもので、その中で名簿の順位が大きいということになれば、個人の資質などはどうでも良いものでしょう。

 

それでも選挙区(地方区)というものが「地元とのつながり」だけに走りがちな日本の政治風土であるだけに、全国区というものの存在価値はあったのでしょう。

ただし、それを100対150といった数字で見積もったところに何の理念があったのか。

全国区だけの参議院というものでも良かったのでは。

 

選挙区(地方区)に至っては数合わせだけが先行し何の理想も見えません。

元々は人口比が考慮されたのかもしれませんが、現在では一人区という事実上の小選挙区制と定数6の東京のような中選挙区制が混在しています。

小選挙区中選挙区では選挙結果に大きな差が出るのは当然であり、その選択は政治制度そのものの理念によるべきですが、そのような高尚な思考は全く無くただただ成り行きだけのようです。

その人口比の不均衡は衆議院が最低でも2未満としているのに対し、それ以上でも良いとされているような状況です。

あまりにもひどいということで島根鳥取、徳島高知の合区をしたら自民党議員を中心に非難の嵐。

憲法を変えてでも合区は廃止と叫んでいます。

衆議院もそうですが、もしも議員は人口比という理念を通すのであれば、限りなく1に近い人口比議員数とすべきであり、それが間に合わないというのは怠慢以外の何者でもありません。

そもそも「都道府県を単位とする」選挙制度にどのような意味があるのでしょうか。

地方にいれば県の独自性、独立性を感じることも多いのですが、首都圏や近畿などではそれはかなり薄まっているでしょう。

今住んでいる熊本県では隣接するとはいえ鹿児島・宮崎などとは心理的にはかなり距離があるものでした。

そのような地域では県単位の政治というのも意味あるものでしょう。

しかし、かつて住んでいた神奈川県では東京通勤通学者が非常に多いということもあり、神奈川県独自で物を考えるというよりは首都圏全体でなければ意味が感じられませんでした。

テレビも神奈川独自の局は1局だけ(テレビ神奈川)でしたし。

そもそも、都道府県の境界も明治維新直後からかなり変化が起こりました。

今の状況になったのも偶然と成り行きでしかないでしょう。

そのような存在である都道府県の意味をあまり強く意識しすぎるのもおかしな話です。

このあたりの事情はアメリカ上院のものとは全く異なり、あちらが州の連合というものから国が形成されたのとは違い、日本の都道府県はそこまでの意味はありません。

都道府県単位の選挙区というものにこだわるあまり、憲法改正まで言うというのは行き過ぎでしょう。(もちろんこれには憲法を変えたくてたまらない勢力の戦略があります)

 

参議院というものが必要なのかどうなのか。そういったところまで戻らなければいけないのかもしれませんが、衆参の関係性、権力の大小、いわゆるねじれ国会など、考えるべきことは多いのでしょうが、少なくとも選挙制度はきちんとした理念が必要でしょう。

そこには衆議院にも通じる基本があります。

「議員などに選挙制度を決めさせるな」です。