爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「LIFE CHANGING ヒトが生命進化を加速する」ヘレン・ピルチャー著

ほんの1万年前までは圧倒的に野生の生物が多かったのですが、わずかの間にヒトによって影響を受けた生物が急激に増加しています。

家畜や栽培植物、そして近年は遺伝子操作などと言うことも行なうようになりました。

それだけでなく、人類が改変している環境に対応しようと自らの身体自体を変えている生物もそれに含まれるかもしれません。

こういった、人類に影響された生命進化というものの概要を次々と解説していきます。

 

もっとも早く家畜化した生物はオオカミだと言われています。

それがどこの話だったのか、そしてそもそも人間の方から働きかけたのかそれともオオカミが進んでやってきたのかはっきりとは分かっていません。

しかし、凶暴な食肉動物であったオオカミの中からヒトに慣れやすいものがヒトと共に暮らすようになったのが、ヒトと家畜とのつながりの最初だったのでしょう。

 

次いでウシ、ヒツジ、ニワトリといった生物たちが家畜化されていきます。

家畜の品種改良ということが盛んに行われていますが、しかしそれが本格化してきたのはごく近代になってからのことであり、それまではさほど積極的には行われていませんでした。

ところが、そういった操作をせずとも動物の変化は起きていました。

ウシの原生種オーロックスは、今のウシとは全く異なり体重も2倍近く、角も1mを越えるような長さの怖ろし気な動物でした。

しかし人に飼われるようになるとどんどんとサイズが縮小していきます。

これは近代の品種改良のように小型の動物を選抜して交配させるなどと言う操作のせいではありません。

どうやら、私たちの祖先はウシが巨大になるまで成長するのを待ちきれず、若い牛を屠殺して食べてしまったためのようです。

そのために生殖年齢も早まり小型化が進行したということです。

 

近代になると多くの家畜の中から好ましいと考えられる形質のものを選んで交配させる「選択交配」という技術が生まれ盛んに実施されるようになりました。

ところがそれが行き過ぎたようで、数々のトラブルが頻出しています。

犬の品種は急激に増加しその変化も激しいものとなっています。

ブルドッグはかつてのイギリスで流行していたブルベイティングと呼ばれる、犬と牛との格闘の見世物のために品種改良された品種です。

そのために鼻面が短く平らな顔と突き出た下あごを持ち、がっしりとした体格となりました。

しかしそのせいで呼吸障害やオーバーヒートを起こしやすく、手術が必要なほどになる場合もあります。

また子犬の頭の幅が広すぎて、産道を通過することも困難になり、いまや出産の8割以上が帝王切開となっています。

他の品種でも、ダックスフントは背骨を損傷しやすく、バセットハンドは耳の感染症が頻発、パグの眼はしばしば眼窩から飛び出してしまうということになっています。

こういったトラブルはイヌだけでなく他の家畜でもあり、ニワトリはあまりにも速く成長するようにされたため、心臓に負担がかかり過ぎ脚も身体を支えることもできなくなっています。

ほとんどが若鳥のまま食肉とされますが、そのまま長く生きさせようとしても不可能になっています。

 

地質学者たちは地質年代をさまざまに区分し命名してきました。

1万1700年前に最終氷期が終了して以降の時代を「完新世」と呼んできましたが、20年前に大気化学者のパウル・クルッツェンがすでに時代は「人新世」に入っていると提唱しました。

この発想はそれほど考えられたものではなく、突発的に口から出たもののようです。

しかし、人新世というものを地質学的に考えていくと色々なことに思い至ります。

これまでの地質年代というものは現代の地質学の発掘調査によって決められてきました。

そこには特異的な岩石や、生物の化石などで特徴づけられることがあります。

それでは、もしも現代の「人新世」の地質が後世の地質学者たちによって調べられたら、何が特徴になるか。

色々ありそうで、「プラスチックの堆積」というのも十分にその候補になりそうです。

しかし、生物的な特徴があるとすればそれは「ニワトリの大量の骨」かもしれないということです。

ウシやブタなど多くの家畜を屠殺し食べていますが、現代の世界ではなんといってもニワトリの数が多くなっています。

骨も多くは何らかの用途で使っていますがそれでもそのまま埋められてしまうこともあるようで、これがはるか未来には大量の堆積層となることもありそうです。

 

人類が地球上の生命全体をさまざまな方向から変化させてしまっているということです。

野生生物の絶滅ということで問題になることもありますが、それ以上に大きな影響を及ぼしているということでしょう。

こんなことをしてしまってよいのかという思いもありますが、まあ人類もそれほど長くは続かないでしょうから、人類滅亡のあとはまた「絶滅からの再生」が始まるのかもしれません。