爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「自粛するサル、しないサル」正高信男著

昨年から続いている新型コロナウイルス感染症の流行では、「自粛」という言葉もかなり飛び交っています。

日本では強制的な都市ロックダウンということが法的にできないのですが、それ以上に「自粛」というものが強力な作用を及ぼすと言われています。

 

しかし「自粛」するという行動は誰でも同じようにするわけではありません。

そういったことを、長年霊長類「サル」の研究を続け、そしてその知見を活かして多くの「サル」シリーズの本を書いてきた著者が、「自粛」をめぐる人間の行動の裏側を分析して見せます。

 

自粛をめぐる経緯については、本書の冒頭に時間を追ってまとめられています。

2020年4月、感染拡大を受けて緊急事態宣言が各地に出されました。

しかし、法的根拠がないためにあまり効果が出ないかと思ったら、「自粛」が強烈に効き始めました。

「自粛警察」などという言葉も出るほどでした。

ところが2020年11月、いったん収まったかのようだった流行が第3波となり感染者も急激に増加したにもかかわらず、自粛はそれほど話題にもならなかったようです。

それを受けて、3月までに本書を書き上げたということです。

 

人は誰も、多少個人差はありますが、ヘビに対しては本能的と言えるような恐怖を感じます。

本当のヘビだけでなく、縄がそれらしく落ちていても同様に足がすくみます。

これはサルでも同様であり、怖がる様子が観察されます。

しかし、ヒトでもサルでもこの反応は「本能的」ではなく何も知らない幼児期には無く、他者の反応を見て身につけるようです。

そして、この反応は日本のように毒蛇といってもマムシ程度しかいないところはいざ知らず、ヒトやサルの故郷のアフリカでは生き延びるためには必須の反応です。

多くのヘビが致死的な毒を持っていて、見たらすぐに逃げるというのが当然の環境に長く暮らしていた人類にとってはこの反応は欠くことのできないものでした。

 

新型コロナウイルスに対する「恐怖」というものは、このヘビに対する嫌悪と同じようなものです。

しかもヘビは目に見えるが、ウイルスは見えません。

そのため、その恐怖感というものはさらに大きく影響するようです。

 

それを助長するのが毎日のように目にする報道です。

新聞でもテレビでもずっとウイルスのニュースを流しています。

自粛行動を強くしたのは、志村けんさんが感染して亡くなったという報道にも一因があったようです。

いくら感染が広がり死亡者も出ているとはいえ、その実数は少なく他の原因の死亡者と比べてもかなり小さかったのですが、こういった有名人の例が出ることで印象が強化されました。

 

「自粛派は情動、反自粛派は理屈」と章のタイトルにもされていますが、このような印象に左右されて感情的と言えるほどの速さで自粛が広がりました。

まだ冷静にニュースを分析できた人では「反自粛」といったムードもでたのですが、ごく一部にとどまりました。

何しろ、このような危機においてはとにかく急いで「リスク回避」をしなければ命に関わるというのが、これまでの人類の歴史での感染症との闘いでした。

感染症と言うものがなぜ起きるのかも分からないまま、家に閉じこもって他者と会わないことが生き延びる唯一の方法だったのですが、それが今回も蘇りました。

 

コロナハラスメントという現象も問題になりました。

感染者ばかりでなく、コロナ患者を受け入れている病院の関係者に対して排除の動きが強まり社会問題化しました。

「罪を憎んで人を憎まず」と言われますが、感染症の場合は「病原菌を怖れてその保菌者を怖れず」などと言うわけには行きません。

コロナウイルスに近い人はすべて排除しておけば安心という心理がどうしても出てきます。

これに関し、著者は「PCR検査を拡充しろ」という議論にも疑問を呈します。

PCR検査で隠れ陽性者を検出しろ」という意見は、「検出した陽性者は全員隔離せよ」ということにつながります。(可能かどうかは別として)

これは非常に危険な状況であることはこれまでの人類史が示しています。

病気だけでなく、異質な他者を隔離して限定した場所に閉じ込めるというのは、ユダヤ人のゲットーやナチスドイツのユダヤ人収容所、アメリカ合衆国日系人強制収容所などがありますが、いずれも人権的には非常に問題となる行為でした。

「コロナ収容所」がこれらと同様にならないとは言えないでしょう。

 

なお、コロナハラスメントは問題となる行動なのですが、本書の中ではその心理にもかなりうなずける部分があるということが書かれています。

しかし、著者は何度も書いているように「このように書いているからと言ってコロナハラスメントの態度に賛同しているわけではありません。ただ人間の性はそうなっているのだと言っているだけです」ということで、ヒトの本能的な性質ではあるものの、その行動自体はあまり良いものではないということでしょう。

 

なお、本筋とは少し離れますが、嫌悪感というものを説明していた部分で面白い記述がありました。

キモイものはキモイ、そしておいしいものはおいしい。

人の感覚というものは簡単に言葉にして説明できるものではありません。

昨今のテレビではグルメ番組が多く、その中で料理を食べたタレントがそれを言葉にして紹介するのですが、それが「食レポ」という言葉にもなっているほどです。

しかし、料理の味などというものは全体としての印象の方がより確かなもので、それを細かく言葉に分解してしまえば印象も薄れてしまうでしょう。

おそらくそのタレントはその料理のおいしさもすぐに忘れてしまうでしょう。ということです。