爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「禍いの科学 正義が愚行に変わるとき」ポール・A・オフィット著

科学はいつも正しいわけではなく、時にはとんでもない愚行に化してしまいます。

そのような7つの話を、数々の受賞歴をもつ医学者でありながら一般向けの著書も多く出版しているオフィットさんが生き生きと描きます。

 

取り上げられているのは、アヘンとその誘導化合物、マーガリン、化学肥料を実用化したハーバー、優生学ロボトミー手術、沈黙の春ノーベル賞受賞者でありながらその後の愚行がひどかった人々というものです。

 

アヘンはすでにメソポタミア文明の頃から鎮痛剤、沈静剤としての効果が認められ、使われてきましたが、使ってみてすぐに分かったのが中毒症状の激しさでした。

他に効果的な薬剤が見つからない中で、その中毒性と麻薬としての使用は常に問題とされてきました。

そのため、アヘンを精製して有効成分を取り出し、少しでも中毒性が弱い物質を得ようとしたり、化学合成を使って中毒性を弱めようとしたりと言った努力も続けられました。

19世紀初めにはドイツの薬剤師ゼルチェルナーがアヘンの成分を精製しモルヒネとして知られる物質を取り出して使おうとしました。

モルヒネはアヘンの6倍の効果があったものの、依存状態への誘導もアヘンより強力なものでした。

しかし、中毒性には目をつぶり世界中に広がってしまいました。

19世紀後半には他の薬剤でも使われるようになった化学合成法を応用して物質の作用を変える試みが行われ、モルヒネのジアセチル化ということが行われました。

最初に試したイギリスの薬剤師ライトは作成には成功したもののその作用の激しさに実用化は見送りました。

しかしその後そのライトの論文を発見したドイツのドレゼルとホフマンが同様に作り出した物質をバイエルが大量に製造したのがのちにヘロインと名付けられた物質でした。

最初は有効な治療薬として広く使われたのですが、これもすぐに依存性が非常に強いことが判り、薬剤としての使用はできなくなったものの麻薬としての使用が爆発的に広がりました。

 

空気中の窒素からアンモニアを作り出す工業的な方法として有名なハーバーボッシュ法というものを作り出したのが、19世紀後半にドイツに産まれたフリッツ・ハーバーでした。

当時は農産物のための肥料としての資源が枯渇し始めており、窒素分の確保が難しくなっていました。

空気中には大量の窒素が存在しますが、それと水素を結合させてアンモニアを作り出すということは理論的には可能であることが判っていたものの、当時の技術ではとても実用的な量を作り出すことはできませんでした。

ハーバーは1000℃以上の高温と200気圧という高圧を使い、オスミウムを触媒とすることで実験をボッシュとともに繰り返し、ようやく実用的な大量のアンモニアを製造することに成功しました。

それはすぐに大規模に実施されるようになり、チリ産の硝酸塩の肥料としての必要性はなくなり、このアンモニアから作り出される窒素肥料が世界中に供給されるようになります。

しかし、この後ドイツ化学界で強い力を持ったハーバーは政権と密接な関係を築き、爆薬製造から毒ガス製造へと研究を進めていきます。

第一次世界大戦末期にドイツが使用した塩素ガスの製造を担っていたのはハーバーが率いる研究所でした。

それを見て苦しんだ妻のクララは自殺してしまいますが、それでもハーバーは続けました。

1919年にハーバーはノーベル化学賞を受賞したのですが、同時に受賞したフランス人研究者は抗議の表明として受賞を辞退し、アメリカ人受賞者は授賞式への出席を拒みました。

このようなボイコットはノーベル賞史上初めてのことでした。

 

 

精神病者の治療として脳の前頭葉の一部を切除するという、ロボトミー手術はもはや治療法としての価値はまったく認められていませんが、20世紀半ばには世界的に実施されていた時期がありました。

1935年に神経学会でイェール大学のフルトンとヤコブセンチンパンジーを使った研究の結果を発表しました。

脳の一部、前頭葉のある部分の働きを調べるために切除したところ、そのチンパンジーは感情的にならなくなったように見えたということです。

それを聞いたポルトガル神経科医モニスがそこからヒントを得て人間に応用することを考えました。

脳の前頭葉の白質を切除するということから、その意味のギリシャ語を合わせて「ロイコトミー」と名付けたその手術はやがて「ロボトミー」と呼ばれることになります。

それに着目し推進したのがアメリカの医師ウォルター・フリーマンでした。

高名な医師であった祖父に近づき上回ろうと焦ったウォルターはその手段としてロボトミー手術を数多く実施するようになります。

精神病者で精神錯乱や幻覚、妄想などの症状が出る人たちにこの手術を施すと、それらの症状は消えることがありました。

しかし、その結果患者はほとんど廃人となり死亡する例も頻発したのですが、それでも「手術は成功した」と主張しました。

アメリカではそれからの40年間に2万件以上のロボトミー手術が行われ、そのうちの4000件はフリーマン自身が実施したものでした。

しかし、現在の認識ではとんでもない手術のように見えますが、当時の事情を見るとそれが必要であったという理由も分かります。

第一に、他に治療法が全く無く、医師も患者の家族も患者本人も何らかの方策を求めていました。

第二に、アメリカでは精神病院入院者が急激に増加しており、1940年代からは精神病院入院者数が他のすべての病気による入院者数を上回るという状況でした。

第三に、精神病院の状況はひどいもので、患者は暴力を振るわれ放置され、地下牢のような病室に拘束されるというもので、病院スタッフは刑務所から連れてこられた男たちで医師などはほとんど居ないというものでした。

こういった状況と比べれば、ロボトミー手術もそれほど残酷というわけではないかもしれません。

フリーマンの手術を受けた中で一番の有名人はジョン・F・ケネディの妹であったローズマリーケネディでした。

ローズマリーには軽度の精神遅滞が見られたのですが、それでも読み書きはでき一人で海外旅行にも行ける程度のものでした。

しかし父親は少しでも改善させたいと思い他の神経科医が反対する中でフリーマンの手術を受けさせます。

その結果は悲惨なものでローズマリーは字を読むこともできなくなり身の回りのことも自分ではできなくなりました。そしてすべての記憶をなくしました。

父親のジョセフ、母親のローズはローズマリーが亡くなるまでの25年間、一度も会いに行くこともなく、唯一訪れたのは兄のジョンだけだったということです。

 

他の話も非常に印象深いものです。

しかし今この時にもこのような科学から愚行へと落ちていることをやり続けている人々がいるのでしょう。

それをいつかは総括できる日が来るのでしょうか。

 

禍いの科学 正義が愚行に変わるとき

禍いの科学 正義が愚行に変わるとき

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