爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「宗教聖典を乱読する」釈徹宗著

著者の釈さんは浄土真宗如来寺住職であり、さらに大学教授も勤められ、認知症患者支援のNPOも運営されているという方です。

この本は、関西地方で開かれたカルチャースクールで講演された内容に加筆された宗教全般について広く知識を得ることができるといった内容ですが、そのためか軽い語り口です。

 

その割には内容がかなり詰まっているようにも見えます。

 

仏教僧侶であるとはいっても、他にも世界の多種の宗教についても語っており、ヒンドゥー教神道ユダヤ教キリスト教イスラム教、仏教についてその中心的な経典とその宗教全般を解説しています。

 

宗教について知識を得るためには、さまざまな状況を見ていくということも必要ですが、やはり「聖典」というものを垣間見ることが有効なようです。

解説書や概説を読むとかえって宗教の持つ雰囲気や方向性を見失うことが多いということです。

 

ただし、聖典から数多くの「金言」が取り出され流通していることが多いのですが、それが原典の使い方からずれていることも多々あるようです。

 

例えば、親鸞歎異抄から「たとえ法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄に落ちたりともさらに後悔すべからず候」という一文を取り出して、オウム真理教が使っていたことがありました。

これも、歎異抄の前後を読まなければ誤解してしまいそうなところです。

 

聖典はそれぞれの原語で、声に出して読むことが大切なのですが、さすがにそれはできないので日本文訳文で示しています。

聖典原文の全部を読むほうが良いのですが、それも無理でしょうからこの本に著者が選んで出した文だけでもじっくりと読んでくださいということです。

 

 

神道は日本固有の宗教ですが、他の宗教とはかなり性質が異なるようです。

また、太平洋戦争までの国家神道の記憶の反発からあまりまともに扱われない状況になっています。

「教祖・教団・教義」を持つものが宗教であるという定義があるようですが、神道には教団はあるものの教祖は不明です。

それよりも、神道は「共同体維持のための構造」を持っているというのが最大の特徴です。

したがって、「儀礼」というものを最重視します。参拝の作法というものも曲げてはいけないものです。

また、亡くなった祖先(祖霊)を祀る「先祖教」であるという特徴をもっています。

神道聖典というと、はっきりと決まったものはありませんが、今でも神社で宣られる「大祓詞」(おおはらえのことば)というものがそれに近いようです。

声に出して読んでみるとその雰囲気も判るかもしれません。

 

キリスト教はいまや世界最大と言える宗教になっています。

ユダヤ教の中からイエスが現れ、そこから誕生したのがキリスト教ですが長い歴史で発展しています。

いくつもの異端との戦いを経て成立したカトリックですが、最後のプロテスタントは生き残り並立してしまいました。

プロテスタントという宗教は著者の見るところ、日本の浄土真宗と似通った性質を持っているそうです。

浄土真宗の僧侶は妻帯していますが、プロテスタントの牧師もそうです。

どちらも専門の聖職者ではなく、出家と在家の境界を崩した存在だそうです。

 

プロテスタントはその性質上原理主義というものが結びつきやすくなっています。

原理主義というのは、最近よく使われるようなイスラムではなくプロテスタントが本家です。「聖書のみを信じる」という原則を強く主張します。

 

仏教は一神教ユダヤ教キリスト教イスラム教とはかなり違う性質をもっており、一神教徒からは哲学と変わりないではないかという批判も受けやすいものです。

絶対神をもたない多様性を重んじるものですが、絶対神を重んじる一神教と仏教とは神というものの意味がまったく異なることを忘れてはいけません。

絶対神」が多数あるというような認識では間違えます。

 

一神教同士の争いのようなテロ戦争ですが、そこで忘れてはいけないのが第2次大戦後のサンフランシスコ講和会議の際に、スリランカ代表のジャヤワルダナ氏が演説をして大きな感動を与えた言葉でした。

 

ジャヤワルダナは「ダンマバダ」の第5番という仏教経典から「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みのやむことのない。怨みを捨ててこそやむ。これは永遠の真理である」と朗唱し、日本に対する補償請求を放棄しました。

これにラオスカンボジアなどの仏教国も同調し講和を結ぶことになりました。

 

これには後日談があり、日本が高度成長を遂げた後にジャヤワルダナ氏を招いたことがあり、そこで氏は祝辞を述べたのですが、非公式には「この国はとても豊かになったが、人々の心は貧しくなっているのでは」と懸念を表明したそうです。

こういうことを言ってくれる人が本当の友人であろうと思います。

 

宗教聖典を乱読する

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