また終戦の日に合わせて靖国神社を参拝する現役閣僚が出て、それに対し中韓などから反発されたりと騒がしいことになっています。
中韓は、A級戦犯が合祀されていることを問題視し、国内でもそれを言う声がありますが、それについてはここでは触れません。
今、半藤一利さんと保阪正康さんが対談された本を読んでいるのですが、その中に明治維新期の官軍と賊軍について触れてある部分があり、そこに靖国神社に祀られている人々についても語られていました。
良く知らなかった部分ですが、読んでびっくり。
賊軍とされた幕府軍側の彰義隊、会津藩等の人々は祀られていないということは知っていました。
しかしいわゆる官軍賊軍の区別がされた以前、禁門の変(蛤御門の変)の際の長州軍の死者は祀られているそうです。
この時はまだ官賊は明確ではないのでしょうが、御所を守る側に居た幕府や会津、そして薩摩に対し、長州が単独で戦い敗れました。
その後、長州を正式に朝敵としていますので、ここでは限りなく賊軍に近いものと見なせるでしょう。
しかし、それでも靖国神社では長州の戦死者が祀られているそうです。
また、新選組の元になる浪士隊を結成した清河八郎は祀られているそうですが、佐久間象山は祀られていない。
これは、清河が幕府側の京都見廻り組によって殺害され、佐久間は長州系の攘夷浪人に殺害されたからだそうです。
このように、靖国神社は官軍賊軍の歴史観と言うより、「薩長史観」とでも言うべきものに従って作られたものということです。
その後、薩摩勢力は西南戦争によって政府で力を失いました。
そして、今に続くのが長州史観と言うべきものでしょう。
聞いてびっくり、目からウロコといったものでした。