地震や噴火はある間隔で繰り返し起きるということが分ってきましたが、まだその方面の研究は十分に進んでいるとは言えません。
その研究の進め方には文理双方からのアプローチがあり、理科系で言えば断層の構造や堆積物の観察を行うということですし、文科系で言えば日本ではかなり古い時代から多数残っている文書などを調べていくということになります。
これらの研究は双方が十分に連絡を取りながら補い合うことでより正確に迅速に進むこととなります。
東京大学では、2017年に地震研究所と史料編纂所が協力して、地震火山史料連携研究機構という組織を設置し研究を進めることとなりました。
さらにその機構が中心となり、東京大学教養学部の前期課程において学術フロンティア講義「歴史史料と地震・火山噴火」を2019年より開講しています。
この本はその講義の内容を元に再構成したものです。
著者のうち、加納さんと佐竹さんは地震研究所、杉森さんと榎原さんは史料編纂所の所属であり、それぞれが自身の専門分野から話を進めています。
内容はやはり最近起きて大きな被害を出したもの、そしてそれらと類似した性格の過去の地震などの記録を紹介するものです。
東日本大震災については、三陸沖で繰り返し起きている大地震や関連する火山爆発。
そして首都圏の地震といったものを取り上げています。
内容は非常に詳細なものですので、概要といっても膨大になるため省略しますが、こういった地震火山に関する歴史学というものが、これまでそれほどまとまって検討されていなかったということに驚きます。
関東地震が何十年ごとに起きているのかといった話もよく聞きますが、これも詳しく記録をたどらなければ分からないことです。
南海トラフ地震も周期的に起きているようですが、その周期は一定のものとは言えず、そこに何が影響しているのか、複雑な要素があり学説も別れているそうです。
一定周期というものがあるのか、地震の大きさが影響するのか、それともまったく偶然なのか、定説はまだできていません。
プレート境界型の比較的分かりやすいような大地震でもそうですから、内陸地震ではさっぱりというのも仕方のないことでしょう。
しかしこの講義を聴講した学生の中からこの分野の研究に進む人が出ればこの講義をやった甲斐はあったということになるのでしょう。
東日本大震災ではその津波が非常に大規模となり大きな被害が出ました。
同様の津波が昔にも起きていたということは、その後にようやく広く知られるようになりました。
貞観地震というのがそれで、貞観11年(869年)に起きたものですが、その規模も今回のものと近いものだったようです。
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは
という歌が、やはりこの津波と関係があったのではないかということが分かってきたようです。
この歌には本歌と言うべきものがあり、それは古今和歌集の東歌・陸奥歌に収められているものです。
君をおきて あだし心を わがもたば 末の松山 波もこさなむ
というもので、こちらの方がよりわかりやすい表現となっています。
この歌はおそらく東国か陸奥で8世紀後半に作られたものであり、この歌の作者は貞観地震を経験していた可能性があるという学説があります。
末の松山という地名は特定はされていないのですが、多賀城付近にそれと目されている丘があり、標高11mだそうです。
熊本地震、兵庫県南部地震などの内陸地震も説明されていますが、こちらの方は歴史的史料から読み込むのはかなり難しいことのようです。
古い時代になると史料の存在も京都周辺は多いものの地方には少なく、正確さも劣るものとなります。
地震の大きさだけでなく、発生日時も確定が難しい場合も多いようで、さらに多くの史料の発見が待たれるようです。
理科系の調査研究ばかりに目が行きがちですが、多くの歴史史料の研究と連動することで、より明確な地震の像というものがつかめるようになるのでしょう。
期待したい分野です。