「はじめに」に記されているように、本書では「世界から失われてしまった、あるいは消失の瀬戸際にある自然や生物の姿を写真でめぐる」ということを行っています。
それを見ていると、今では見ることのできなくなってしまった、風景や動物、植物の姿を目にして胸が苦しくなるような思いです。
その光景が失われた原因は色々とありますが、多いのは人間が行った開発によるものです。
生物の大絶滅が今まさに起きているということがはっきりと実感できるものです。
なお、あくまでも写真が残っていて以前の姿が確認できるものだけを取り上げていますので、せいぜい100年以内のものですが、それでもその大きな変化(破壊)には慄然とするほどです。
ナイル川のアスワンダムの建設は、大規模な工事で多くの灌漑施設を作るというものでしたが、それ以前のナイル川沿いの自然はすべてナセル湖に沈んでしまいました。
古代の遺跡の多くも水没するはずでしたが、辛うじて移築したものもありました。
150年前の白黒写真の光景もかえって鮮やかに見えるようです。
ケニアのナクル湖という名前は知らなくても、そこに集まる百万羽以上のフラミンゴの光景は有名でしょう。
しかし、ここ20年ほど前からフラミンゴが激減してしまい、最近では多くても数百羽になってしまったそうです。
その原因は餌となるスピルリナという藻が激減してしまったからだそうです。
湖もあっという間に消え失せてしまいます。
アフリカのチャド湖は現地語で「大きな水」を意味するのですが、ここ40年ほどの間に面積の95%を失くしました。
中央アジアのアラル海は1960年代までは世界第4位の面積の湖でした。
しかし、ソ連の農業政策で一帯を綿花地帯とするために灌漑を始めるとあっという間にアラル海の水位は下がり面積は10分の1以下にまで減ってしまいました。
どちらも流入する河川の水を流域の灌漑に使ったため、湖水まで到達せずに蒸発したからです。
うっそうとした森の広がる熱帯雨林でも、開発が進めばあっという間に無くなってしまうという例が、マダガスカル島とスマトラ島でした。
そこには多くの動植物が独自の社会を作っていたのですが、それも森林と共に消え去っていきました。
生物種の調査すら行われないまま絶滅してしまったのでしょう。
米の減産が始まったころに完成した八郎潟は、干拓の意味すら疑問になっています。
東京湾で掲載されているかつての写真は、1961年当時の東雲海岸でのハゼ釣りの光景。
多くの人が集まりそろって釣竿を下ろしています。
開発の名の元、ほとんどが失われた光景となってしまいました。
さて、いつまで、どこまで破壊が続くのでしょうか。
多くの生物を絶滅させ、人類だけが生き残るのでしょうか。