相次ぐ気象災害を恫喝の種に使って、どうしても二酸化炭素排出を無くさなければならないという、決して証明はされていない科学の仮説から大きな方向性の決定をしてしまっている世界ですが、「2050年二酸化炭素排出実質ゼロ」という目的を日本も決めてしまいました。
二酸化炭素排出ゼロなら、人間の呼吸もダメじゃないということではなく、とにかく「化石燃料使用を減らす」(ゼロにはできない)ということを目指しています。
とは言っても、私がかねてから主張している「脱エネルギー社会の創出」という高邁な目標とは似ても似つかぬものであり、自然エネルギー(再生可能エネルギー)への転換やら、二酸化炭素固定化技術開発やら、どうなるか分からない様な夢の技術(夢のまま終わる)にあくまでも望みをつなぎ、とにかく経済成長は確保しなければならないというだけの話ですが。
しかし、福島原発事故で現代科学技術に対する信頼は大きく損なわれたなどと言われますが、まだまだその信頼(というか盲信)はまったく揺るぎもせず存在しているようです。
そこで言われている「排出実質ゼロ」とは何か。
下記の記事で図解されているように、化石燃料の使用による二酸化炭素排出量から二酸化炭素の地中貯留や、森林による吸収を差し引いてそれがゼロなら達成というものです。
これで、とにかく「化石燃料使用量ゼロ」にする気は全く無いということは分かります。
さて、それではこの先の世界の行く末について書いていこうと思いますが、その主眼はいわゆる再生可能エネルギーです。
しかし、これについてはあまりにも長くなりそうですので、後回しにし、森林吸収や二酸化炭素地中貯留、そして最近話題の人工光合成などと言うところから触れておきましょう。
森林などの植物が二酸化炭素を光合成で固定化し、成長することで大気中二酸化炭素を減らすということは特に日本では森林面積の多いことから期待されているのでしょう。
森林の元締め、林野庁のサイトにも解説がありました。
森林の中の植物の量の増加分が二酸化炭素の減少であるとして、それを算定するということです。
木材となって建築用材になればその期間は大気中の二酸化炭素を固定化していることになります。
しかし、木造建築にしたところで永久にそのままであるわけもありません。
やがては廃材となり燃やされたり、腐って分解して二酸化炭素を放出するのですが、それは計算に入れないのでしょうか。
樹木となったものがそのまま土に埋もれ、石炭に化していくのなら二酸化炭素固定化と言えるのでしょうが、それ以外では一時的な貯留に過ぎません。
二酸化炭素地中貯留技術とは
話だけは聞く技術ですが、二酸化炭素を地中の帯水層などに吹き込みそこにとどまらせるということのようです。
しかし上記の研究機構の解説を見ても、まだとても実用化には程遠いという印象です。
また、二酸化炭素のみを貯留するという技術であり、空気中の二酸化炭素を効果的に分離してそれだけを地中に吹き込むという部分については何の考慮もありません。
そこが一番大変だと思うのですがどうするつもりでしょう。
もしも、空気そのものを地中に送り込むなどということをすれば、どういうことになるか分かりません。
人工光合成?
まだまだ夢の中の話のようです。
toyokeizai.netこんなことに貴重な研究費を振り向けるだけでももったいない。
地道に農業に精を出す方がよほと確実なようです。
そんなわけで、次回に続く。