ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)と現生人類(ホモ・サピエンス)は50万年前に分離し、その後は地理的に隔絶して暮らしたために徐々に様々な部位に差ができたと言われています。
そして、ネアンデルタール人の絶滅は意外に最近のことであり、最後の遺跡は2万4000年ほど前のスペインジブラルタル海峡付近のものと考えられています。
そのため、ネアンデルタール人を絶滅に追いやったのも現生人類が生存競争を仕掛けたからではないかと考える人もいます。
本書著者のフィンレイソン博士は、ネアンデルタール人研究が専門ですが、その目から見ると現生人類の発展だけを見ているよりは色々なものが見えてきそうです。
現生人類が約20万年前に他から分離し、その後アフリカを出て世界各地に広がっていったと言う物語はほぼ間違いのないことのようですが、しかしその広がっていった先は誰も住んでいなかったわけではありません。
中東から南アジアには、ホモ・エレクトスの子孫や、デニソワ人が、ヨーロッパや中央アジアにはネアンデルタール人が住んでいた時期と、現生人類が進出した時期とは重なる場合もあるようです。
しかし、そこで直接の交渉や衝突があったという証拠は見つかっていないようです。
出アフリカを果たした現生人類は、しかしその後のトパ火山の大爆発による気温低下や、その後の低温により中東や中央アジアの付近で長らく足止めをされました。
そこからさらに広がりだしたのは4万年前になってからのようです。
その証拠に、中央アジア付近の現生人類の遺伝的多様性の豊かさということが挙げられます。かなり長い期間ここで留まっていたということが分かります。
したがって、それを遡る時代の世界各地の遺跡は、もしかしたら現生人類によるものではない可能性もあるようです。
ホモ・サピエンスの遺跡と考えられていたのが実はネアンデルタール人のものだったのかもしれません。
ネアンデルタール人は知能が低く、そのような文化は持っていなかったと言うのが通念ですが、どうも現生人類とさほど差はなかったようです。
3万年ほど前になり、中央アジアから北方アジアに広がっていった現生人類は、ツンドラステップと言う冷たい気候を逆に利用する形で食糧獲得を容易にしていきます。
狩りというものの技能を、集団的な狩猟や槍などの改良で向上させた人々は、寒冷な気候の中で獲物の保存ということを覚え、これまでよりはるかに安定した食糧供給を成し遂げます。
アフリカの熱帯では獲物は多いとしても取った獲物はすぐに食べなければ腐ってしまいます。食べれる分以上は捨ててしまわなければならないものでした。
しかし、ツンドラでは残った肉を置いておいてもいつまでも食べられます。
そうして、一気に彼らは人口を増やしていきました。
その後、さらに農耕を覚えた彼らは圧倒的な優位のもとに世界中に広がっていきます。
しかし、ネアンデルタールなどの他の人類は本当に能力が劣っていたからこのような進歩を遂げられなかったのか。
そうではなく、単に現生人類が運が良かっただけだというのが結論です。
ネアンデルタールはヨーロッパが主要な住処でしたので、トパ火山噴火やヤンガードリアスによる気温低下に耐えられずに死滅してしまいました。
もしも、その後の気温上昇まで生き残っていることができたら、ネアンデルタール人も農耕などを発明したかもしれません。
この後はどうなるかということには、著者は答えることができないとしています。
進化というものは、独立した集団が隔絶されることがなければ起きないため、世界各地が結ばれた現代では起きようがありません。
このまま持続か、滅亡しか無いということです。
なお、巻末に東大准教授の近藤修さんの解説があり、本書出版後の発見としてネアンデルタール人に由来するDNAがヨーロッパ人には数%含まれているというものがあると書かれています。
これがまだ不明だったため、本書中ではネアンデルタール人と現生人類の交雑は無かったとされていますが、実際はあったということです。
同様に、アジア人種はデニソワ人由来のDNAを持っているそうですが、それも本書では触れられていません。
人類の進化というものは、やはり様々な視点から広く見渡さなければ勘違いしそうです。
そして最後にヒトが残った―ネアンデルタール人と私たちの50万年史
- 作者: クライブ・フィンレイソン,解説:近藤修,上原直子
- 出版社/メーカー: 白揚社
- 発売日: 2013/11/09
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