爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「誰も戦争を教えてくれなかった」古市憲寿著

本書の外装に書かれている書名は「誰も戦争を教えてくれなかった」なのですが、一枚めくるとその裏には「だから僕は、旅を始めた」と続いています。

 

その通り、自分で探して歩き、世界中の戦争博物館と平和博物館をめぐる旅をして、そうして書いた本です。

 

著者の古市さんはまだ若いが新進気鋭というべき社会学者です。ただし、あちこちで様々な発言で物議を醸している方のようです。

まあ、それも本を通してみても分かりますが。

 

たまたま、著者は2011年正月にハワイに行き、そこでパールハーバーに行ってみようと思い立ちます。

そこで、日本軍の奇襲攻撃を受け日米戦争開戦の舞台となり、今はアリゾナ・メモリアルとして整備されている記念館を訪れました。

 

そこで受けた印象は、「あまりにも爽やかな空間であった」ということでした。

さらにそこには来訪者を楽しませるような仕掛けがあふれる「楽しい」場所でもありました。

日本で戦争といえば「決して繰り返してはならない悲しい出来事」とされていたのとは大きく違う、アメリカの戦争観があふれる場所でした。

 

そうして、著者はその後世界のあちこちを訪れるたびに、各地で戦争に関する博物館を訪ねるようにしたそうです。

すると、各国で様々な対応がされていることが分かってきました。「戦争の爪痕をそのまま残すことに執念を燃やす国」「現代アートを使って戦争の悲惨さを表現しようとする国」「最新技術を使って戦争被害を強調する国」「極力自分たちの戦争観を表明せずに曖昧さを貫く国」といったものです。

 

第1章 アメリカや中国と比べることで見えてくる、日本の歴史博物館の特殊性

第2章 ヨーロッパの敗戦国の博物館

第3章 旧満州を中心に中国を旅した記録。「愛国教育」を受けた若者たちとも話し合った。

第4章 K-POPファンとともに、韓国の戦争博物館や38度線を訪ねた。

第5章 沖縄や東京の平和博物館を巡った。

第6章 「関ヶ原ウォーランド」という不思議な空間を訪れた経験を糸口に、変わりゆく戦争の形を考えた。

巻末 週末ヒロインももいろクローバーZという、著者よりさらに戦争を知らない若者たちとの対談。非常に混沌とした内容となっている。

 

といった構成で語られています。

なお、最初に言い訳が書かれていますが、別に世界の博物館を網羅しようという気もなかったので、ついでのないところには行っていません。例えば、タイや台湾、アメリカの本土、イギリスにも訪れていません。

また、本書に出てくる人名にはその次に必ずカッコつきの数字 例:(+33) が書かれています。これは太平洋戦争終了の年の1945年を0として、その人がいつ生まれたかを示しています。当初は何かと思ったのですが、ロベスピエール(-187)や毛利輝元(-392)でようやく分かりました。

 

最近の若者は戦争のことを何も知らないとは良く言われます。

NHKが実施した世論調査が引用されていますが、「最も長く戦った国」「同盟関係にあった国」「真珠湾攻撃を行なった日」「終戦を迎えた日」を答えてもらったものです。

すると、1959年生まれ以降の世代では多くの人が正答せず、全問正解はわずか10%でした。

これだけなら、「戦争を知らない若者(中年を含む)」で良いのですが、実はそれより年上の戦中派、戦前派という人たちもこれらの質問の正答率は低かったそうです。

つまり、若者だけじゃなく日本人は皆戦争に興味がなかったのです。

 

著者はドイツで各地の博物館を訪ね、国として涙ぐましいほどに戦争の記憶を残そうとする努力を見てきますが、しかしドイツでも国民の「歴史認識」調査をすると若年層ほどその知識が少ないようです。

さらに、「ホロコースト疲れ」とも言えるような国民の間の意識も生まれているとか。

もちろん、こういった状況は他の国でも共通で、イギリスやスペイン、カナダなど欧米各国で戦争の記憶の風化というものは起きているようです。

 

日本でも各地で博物館を訪ねています。

しかし、「歴史博物館」というところには、ほとんど「あの戦争」というものを正面から取り上げているところはありません。

そのため、著者は「僕たちはまだ、戦争の加害者にも被害者にもなれずにいる」と結論しています。

 

一方、民間で作られている、博物館としての条件を満たさないいわば「博物館もどき」には戦争や平和をあつかったものが多数あるようです。

 

なお、巻末に取り上げられている、「今後の戦争の姿」には不気味さを感じます。

そこでは、無人機と無人機の空中戦が頻発する状況や、民間軍事会社同士の戦闘など、これまでの国民国家の徴兵された兵士たちの戦闘とは異なった戦争の姿が描かれています。

無人機同士の戦闘を「戦争はいけない」と言っている人たちはどう考えるのだろうか。それは興味深いことです。

民間軍事会社に入り、傭兵として戦闘に参加する日本人も居るという話です。それは今後さらに増加していくでしょう。そうなると、中東やアフリカのどこかで民間軍事会社同士の戦闘が起こり、そこで日本人同士が戦うということも起こりうる事態のようです。

そうなっても、「戦争はいけない」と言い続けることができるでしょうか。

 

誰も戦争を教えてくれなかった

誰も戦争を教えてくれなかった