爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「第一次世界大戦史」飯倉章著

第二次世界大戦はまだ実感として残像を記憶していますが、第一次世界大戦は完全に歴史教科書の中のものです。

それもいい加減にしか勉強していなかったので、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子の暗殺で始まりヨーロッパ全体を巻き込んだ大戦となり、長期間続いたということ。

そして巨大な大砲や塹壕、戦車や飛行機が実戦投入されたこと等々の断片的な知識のみ。

さらに終戦後のヴェルサイユ条約でドイツに対して非常に厳しい条件をつけたために、それが第二次世界大戦につながったという程度のことしか知りませんでした。

 

本書は新書版ではあるものの内容は非常に詳細であり、第一次世界大戦全体についてよく知ることができるものです。

また、当時はすでに新聞が多数出版されていたのですが、そこでは各国首脳をデフォルメした漫画による風刺画がいくつも掲載され話題を呼びましたが、その中の傑作のものを適宜取り上げて解説されています。

 

戦争を呼び起こしたのは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの州都サライェヴォでのオーストリア・ハンガリー帝国皇太子の暗殺事件でした。

皇位継承者フェルディナント大公夫妻は、その妻となったゾフィーが王族出身ではなかったために家柄を重んじる皇帝ヨーゼフ1世と対立し、それがようやくなんとか認められて最初に夫妻で訪れたのがサライェヴォだったそうです。

そこでセルビア民族主義者のテロリストによる銃撃で夫妻共に死亡しました。

 

ヨーロッパ各国は戦争をしたい国と嫌がる国があったのですが、結局はすべて巻き込まれました。

1914年開戦当時は短期で終わるという観測もあったのですが、結局は膠着し長期間の大戦となってしまいました。

ドイツのUボートによる無制限潜水艦作戦によるアメリカの民間船撃沈でアメリカ参戦に呼び込んでしまったことなど、断片的な知識が一応一筋につながるようなものでした。

 

それにしてもあまりにも多数の犠牲者を出しての上のことです。

日露戦争での203高地攻防戦で日本軍の戦死者が1万5千人で大きな犠牲者数であったと言われていますが、第一次世界大戦の各地の戦場では一回の戦闘でそれをはるかに越える犠牲者を出していました。

第二次世界大戦とは戦い方がかなり違っており、前時代の大軍の会戦という形式をまだ引きづっていたためにこのように多数の戦死者を出したのかもしれません。

 

また、捕虜数の非常に多いことも驚くほどで数十万が捕虜となったなどと出ています。

捕虜の扱いも悪かっただろうに、そんなに捕虜になるのかよく分からない状況です。

 

当時の有名な学者たちも戦争に巻き込まれていました。

イギリスのケンブリッジ大学の哲学者、バートランド・ラッセル良心的兵役拒否を勧めるパンフレットを出版したことで罪を問われ入獄しました。

ケンブリッジラッセルの同僚であった、ルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタインは帰国してオーストリア軍の伍長代理として参戦し、敵の砲火をものともせずに敵の砲撃地点を確認し味方の攻撃を成功させた功績で軍事勲功章を授与されています。

この頃非常に強い自殺願望にとらわれていたので、敵の砲弾も怖くなかったのかもしれません。

なお、ヴィトゲンシュタインはこの大戦中に不朽の名著「論理哲学論考」の草稿を書いています。

 

この大戦でイタリアはあいまいな態度を取り続けていたのですが、アメリカ軍の参戦で英仏側が有利と見てそちらに立って参戦しました。

しかしその兵士の士気は非常に低く、イタリア戦線カポリットの戦いではイタリア軍の70万人が損耗しました。

ただしその内容ですが、死傷者は4万人に過ぎず、28万人が捕虜となりましたがその多くは部隊ごと無傷のままで投降したそうです。

そして残りの35万人は戦線から脱走したのだとか。

 

開戦時には諸国のほとんどが帝国または王国の君主国で、フランスのみが共和国であったというのも考えてみれば当然なのでしょうが意外な感じがします。

しかしこの戦争の間にロシアでは革命が発生し戦線から離脱しました。

そしてドイツ帝国の中でも反乱発生の恐れが強くなったことがドイツの降伏につながりました。

徐々に現代につながる時代だったということでしょう。