この本は3年ほど前に読んだものですが、図書館の棚を見るといつも何か呼びかけているような気分にさせられ、このたび、もう一度読んで見ることにしました。
すると、結構でてきたのが「新たな発見」「前回は読み不足」といったもので、きちんと読書できていないのだということが再認識されました。
もちろん、それだけこの本が内容豊富であるということであり、ほとんどの本は二度と読む気もしないものなのですが。
そんなわけで、前回の書評と同じことを書く気はありませんので、付け加えることだけを書いてみたいと思います。
本書冒頭には埴原和郎氏の「二重構造モデル」についての言及があります。
私もこの二重構造に最初に触れた時は大きな衝撃を受けましたが、現在ではそのモデルではまったく不十分であるとされています。
二重構造モデルでは、縄文人と弥生人(渡来人)の2つの集団が混じり合って日本人となったとされていますが、どうやら縄文人も弥生人もとても一つにまとめられるものではなく、どちらも無数とも言えるバラエティーがあるものだったようで、二重構造などという単純化はできないものだったということです。
弥生時代にはすでに対馬海峡を自由に航行する貿易商人とも言える人々が居たのは確かですが、実は縄文時代にもそういった交易が行われていた証拠があります。
日本列島産であることが明白な黒曜石が朝鮮半島からも出土されており、その年代も相当古いもののようです。
その後も海峡を越えた交易は拡大し続けられました。当然ながら鉄などを始めとした半島側からの事物の方がはるかに有益であったのですが、日本側からの交易品としては玉(ギョク)、弥生土器、銅器などが見られるそうです。
また、証拠は乏しいものの交易品として奴隷もあったのは間違いないようです。
縄文時代人は一様ではないという様々な証拠が得られていますが、それ以前に「旧石器時代人」とも言える人々が居たとも考えられます。
彼らも数は少ないもののその痕跡を残しているようです。
遺伝子の研究が進展する中で、これまで主体であったミトコンドリアDNA(女性のみ)に加えて最近ではY染色体(男性のみ)の分析も進んできています。
そのY染色体のハプログループDと呼ばれるものが、日本人、チベット人、に加えてインド洋のアンダマン諸島の先住民に多いということです。
このグループが実は日本で旧石器時代から住んでいた人々に由来する遺伝子ではないかというのが著者の推測です。
このアンダマン人の言葉が興味深いものであり、日本語などと同様に膠着語に分類されるものであり、さらに名詞の分類が身体的特徴による部分によって為されるという変わったものであるそうです。
日本語の最も古い基礎概念がこのアンダマン語などと共通の言葉によるかもというのが著者の推論ですが、なかなか興味深いものです。
本書を通して語られている日本の「ハイブリッド文化」ですが、近代になりほとんど鎖国とした江戸時代以降、唯我独尊とも言える意識が国民の間に蔓延してしまいました。
国際化が進み、また少子化の影響もありアジア各国からの人々の流入(まだ”移民”と言ってはいけないのでしょうか)も絶え間なくなっているのですが、日本人側の意識としてはまだかなり排外的なものが支配的なようです。
農村にフィリピンなどからやってくる花嫁という人々もすでに相当数が入っているのですが、彼女たちが友達と電話で話す際に、タガログ語でしゃべるのをその家の姑が嫌がるそうです。
この考え方は日本人の多くに持たれており、それが国際結婚や移民というものを日本人が嫌がる大きな原因となっているようです。
そして、これは実は警察や入国管理、その他の行政にも広く分布している意識のようです。
姑は、「嫁はウチの家風に従ってもらわなければ」という意識であり、行政機関もまったく同じような意識そのものです。
その状況であっても、日本が金持ちである間は外国人も来てくれました。そうでなくなれば来なくなるでしょう。
なかなか盛り沢山な本でした。
歴史の話にとどまらず、現代の日本社会についての意見にも見るべきものがあったようです。
ハイブリッド日本 文化・言語・DNAから探る日本人の複合起源 (東アジア叢書)
- 作者: 上垣外憲一
- 出版社/メーカー: 武田ランダムハウスジャパン
- 発売日: 2011/08/26
- メディア: 単行本
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