在野の古代史研究家である安本さんが非常に大きな観点から日本民族の古代の成立について語っています。
著作は何冊もあるものの、既成古代史学会からは無視同然の扱いといったところでしょうか。
しかし、この本を見ても関連する研究者の意見には丹念に目を通し取るべきは取るといったところが見え、その主張にも妥当なところが多いように感じられます。
本書は非常に広く長い歴史的な観点から、新人類の出現と出アフリカ、そして日本列島へたどり着くまでの経過、縄文中期の鬼界カルデラの大噴火によって九州を始め西日本での人口急減、弥生文化の特徴と発祥、日本語の成立まで論じています。
遺伝的な日本人の由来という問題は、考古学者、遺伝学者が多くの実験的検討を行い結果も出ていますが、文化や言語と言う問題は遺伝子だけでは捉えることができないものを含んでいます。
多くの人々がすでに住む地域に、たとえ少数でも優れた文化を持つ人達がやってきたらどうなるか。
元から居た人々を駆逐するというよりは、受け入れ融合し文化のみを発展させたのかもしれません。
弥生文化に中国南部の少数民族の文化と共通するところが多いのもそのせいではないかとしています。
また、これは水稲栽培が朝鮮半島を経由したのではなく、中国大陸から直接やってきたのではないかという推測にもつながります。
朝鮮半島を経由し陸路で伝わるためには遼東半島の北側を通らねばなりませんが、その地域には水稲栽培の遺跡もなく非常に寒冷な気候のため水稲栽培は無理だったようです。
著者は、倭人の時代から現代に至るまで続いている「弓」の特異性についても取り上げています。
日本の弓は非常に長く、さらに上下が対称形ではなく上が長く下が短いという特徴を持っています。
実は世界的に見ても、このような長弓というものは珍しいもののようです。
ほとんどの地域ではアーチェリータイプの短弓を使っており、日本でもアイヌは短弓です。さらに縄文時代の弓もそれと似通ったもののようです。
朝鮮半島でも短弓を用いています。
それが、弥生時代の倭人から2mにも及ぶような長弓を使うようになり、これは現代まで続いています。
実は、このような長弓は日本の他には太平洋の南方の島国に見られるそうです。
空中を飛ばすには短弓の強いものの方が有利であり、飛距離も長いのですが、長弓の有利な点は「水中の魚を射る」ことにあるそうです。
日本民族の成立には、日本語の特色からも分かるものが関わってきます。
日本語は類似した言語がほとんど無いと言えますが、基礎語彙、文法、音韻と別けて考えると、文法と音韻は朝鮮語、アイヌ語に非常に似通っていることがわかります。
一方、基礎語彙は南方諸言語と共通のものが多いとしています。
つまり、元々は朝鮮語と類似した言葉を使っていたところに、強烈な文化を持った南方からの人々が中国南部からやってきた。
彼らは人口としては少なかったので土着の人々と入り混じりながら広がってきたので、基礎語彙はかなり自分たちのものを使うようになったものの、文法などは元のままだったのではないかということです。
なかなか面白く、結構納得させるような見解かと思います。