日本列島にヒトが現れたのは今から約37000年前と考えられていますが、それからの時代区分はおおよそ旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代と分けられます。
これは多くの考古学者たちでは共通した概念となっていますが、しかしそれらの時代の境界はどこにあるのかという問題については多くの学説がありかなり違ったものが提唱されています。
列島の中では例えば九州北部と関東地方ではその時代の変化も大きく異なり、それを一律に時代区分をしてしまうということは乱暴すぎることかもしれません。
著者の藤尾さんは国立歴史民俗博物館教授で先史考古学が専門ということですが、特に時代から次の時代への移行期というものに深く興味を持っているということで、この本でもそこに焦点を当てて描かれています。
旧石器から縄文へ、縄文から弥生へ、弥生から古墳へ。
その時代の変化がいつかということを決めるということは、それぞれの時代の特徴が何かということを直結します。
またそこは考古学研究者たちがそれぞれの学説を展開する場でもあり、何をもってその時代の特徴と位置付けるか、それは研究者によってかなり違うところでもあり、その指標の置き方で時代の境界も相当違ってくることになります。
縄文時代の特徴としては、土器の出現、定住、石鏃や土偶があります。
これが揃った時が縄文の始まりだとするのが著者の主張です。
ただし、これは九州から東北南部までの範囲で言えることであり、沖縄や東北北部、北海道は全く違う時代区分をしなければならないということで、ここでは別扱いとなります。
この時期にはそれまでの寒冷気候から温暖化が始まり、特に九州南部では15000年から14500年前頃には落葉広葉樹林が広がり森林の産物を活用する生活が始まり、縄文化が始まったものと見なせます。
そこから6000年以上をかけて列島を北上したのが縄文化の波でした。
弥生時代は弥生式土器というもので特徴づけられると考えられてきました。
しかしどうやら土器の出現というものはかなり揺れ動くもので、時代区分には適用が難しいようです。
かつての考古学界ではそれにさらに日本人起源論までが絡んできたために時代区分の議論が揺さぶられてしまいました。
最近では弥生式土器の出現というものから、農業の変化として水田の出現というものの方が優先して考えられています。
しかし水田遺構は九州北部では早い時期に確認されるものの、他の地域ではイネを作る水田の前にアワ・キビを作る時代が長く、それをどう判断するかでも学説は分かれます。
さらに東北北部ではいったん始まった水田での稲作が気候変化で放棄され、また縄文に戻るという動きもあったそうです。
弥生から古墳への移行期には気候変化の影響が大きかったようです。
この時期に寒冷化が起こり、洪水が頻発します。
それまでの水田が破壊され、さらに住居も低地では被害を受けやすいために移動せざるを得なくなりました。
しかしそれが大きな社会変動にもつながり、都市の出現、権力者の強化にもつながっていきます。
弥生集落としては吉野ケ里遺跡がよく知られていますが、都市化が進んだのは福岡の比恵・那珂遺跡の方が大規模だったようです。
そのような社会変化が古墳の造成を産んだのですが、その形式だけを見ていたのでは社会変化を見落とす可能性もありそうです。
このあたりも研究者によって相当意見の違いがあるようです。
歴史学、考古学といったものはどんどんと変化しているようです。