この本は2年余り前に一度読んでいますが、その読書記録を読んでみるとあまりにも簡単な感想だけであるのに驚きました。
著者の外川さんは地震や火山の専門の学者ではなく歴史家であるために、天災について詳しく書かれているわけではなく、どちらかと言えば地震などが発生したあとの対策について論じられているという性格が強いのが本書であるのですが、前回読んだ時はそちらには興味が向かなかったのかもしれません。
政策としての復興がある程度形となって見えてくるのはせいぜい江戸時代以降のようです。
江戸幕府は各藩の内政にはほとんど関与することがなかったために、大きな災害が起きてもその復興を支援するということも少なかったようです。
そのため、天災に見舞われた地域の為政者はどうやって復興資金を引き出すかが大問題であり、江戸時代初期の寛文年間に越後高田で起きた高田地震では、家老の小栗美作が幕府と折衝して米と金を引き出すことに成功しました。これは藩主の松平光長が徳川家康の曾孫に当たるという血筋の良さが幸いだったのかもしれません。
宝永の富士山大噴火では富士山東側の現在の神奈川県西部に大量の火山灰が堆積し、小田原藩の領地は灰に埋まるとともに酒匂川の水害の危険性も高まりました。
しかし、そこで小田原藩は領地の返納を幕府に持ちかけ美濃に移転するという奇策に成功します。
その結果幕府直轄領となった酒匂川河畔の地域は幕府が復興することになったのですが、全国の各藩に復興のための資金を拠出させたもののそれは御用商人などの手に渡り有効には使われなかったようです。
弘化年間の善光寺地震では北信濃一帯は大変な被害を受けたのですが、松代藩の真田幸貫は統率力を発揮して地震の二次被害を防ぐことができました。このような藩主がいた場合は良かったのですが、殆どの場合そうは行かず、なんの対策もないまま民衆は放って置かれたということです。
本書は東日本大震災発生のすぐあとに出版されました。そのため、著者は災害記念館という施設の建設を強く期待しています。天災が起きるのはしかたのないことですが、その復興というものはやり方によって大きく違います。それを記録していく必要があるのでしょう。