爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「災害とたたかう大名たち」藤田達生著

江戸時代は自然災害などが多い時代でもありましたが、そういった災害に対処した大名についての本かと思いました。

ところが、この本はそれだけにとどまらず、江戸時代の幕藩体制というものを支えた思想というところまで考察を進めていました。

戦国時代は大名ばかりでなくその臣下たち、さらに在郷の郷士と呼ばれるような人々、農民たちまで、自分たちの領地を守るために全てを捧げて戦っていたというイメージですが、それが江戸時代に入るとかなり変化したかのように感じます。

それが単なる感覚ではなく実際に多くの史料にその変化が表れているということまでこの本では論じられています。

 

著者の藤田さんは江戸時代の藩の政治状況などを詳しく研究されているということですが、特に今の三重県にあった藤堂藩について様々な研究を重ねてきました。

そこでこの本ではその藤堂藩やその支藩、そしてその他の史料から見えてくる幕藩体制についてまで解析されています。

 

江戸時代も各地に多くの災害が起きました。

中期以降には地震や冷害、火山噴火など大きな災害が次々と起き、大きな被害を各地で受けることとなりますが、これらの災害は江戸時代初期でも起きていました。

しかし、藤堂藩のそれらの災害への対処を史料で見ていくと非常に手厚い対応がされていたということが分かります。

城のあった城下町だけでなく、その他の町、そして農村部に至るまで、様々な災害の被害に対し、金や米の給付だけに止まらず、復興のための木材なども被害者に対して施されたという史料が残っています。

藤堂藩はその時点でも決して裕福という藩ではなく、苦しい藩財政であったのですが、それでも多額の支出がなされています。

 

藩財政を苦しくしてまで、民衆の被害を助けようとしたのはなぜなのか。

 

そこには、江戸時代に確立された幕藩体制というものを支えた思想、預治思想というものがあったというのがこの本の主要な主張です。

 

江戸時代以前の戦国時代には戦国大名やその臣下たち、さらに各地域を支配していた武士たちから農民に至るまで、自らの領土、領地を守るという意識が強く、そのために命を懸けて戦いました。

しかし、信長、秀吉から家康に至る全国統一の過程で検地などを行なったのは領地というものは領主に属するものではなく、天として意識されるものに属するものであり、その代行者として将軍が預かるものだという思想に変換していくものだったということです。

そして、その天から預かった土地を将軍からさらに大名に預け、管理を任せたのが幕藩体制だというのが預治思想だというものです。

これを確実にするために江戸時代初期には大名の廃絶や移封が頻繁に行われ、大名や臣下たちとその領地とのつながりを薄めることが行われ、武士と在地領主というものを切り離すことに全力で当たったかのようです。

それは奏功し、武士はほとんどが城下に住み藩の官僚となり、在地の地主たちは武士ではなく上層農民となりました。

 

このような思想のもとでは、領地領民はあくまでも将軍を通じて預かったものであり、これらが災害で傷ついた場合には藩は全力を挙げて救済することが義務であるかのように思われるようになったということです。

藤堂藩に残る史料にもそういった思想を伝えるものが数多くありますが、藤堂藩は外様大名であるにもかかわらず、そのような幕府への忠誠心を発揮するような思想の証拠が残るというのは興味深いものです。

 

ただし、そのような記録が残る一方、藤堂藩の殿様が倹約にいそしみ藩財政を健全にしていたというわけでもなく、かなり浪費もしたというのは事実なのですが、仕方ないことなのでしょう。

 

こういった対応をせざるを得なかったというのは、そういった対応に失敗した結果として一揆が起こったりするとその責任を取らされて改易されるといった処分が現実のものとして突き付けられていたからでもあります。

それほど幕府の威信が強く、少しでも落ち度があれば廃藩されるということがあったからでもありました。

 

ただし、江戸時代前半にはそこまでは多くなかった災害も中期以降は頻繁に起きるようになります。

すると幕府の財政的な支援も間に合わなくなり、幕府の威信を損なうこととなります。

そうなると落ち度のあった藩でも改易というわけにもいかず、大藩は何の責任も問われないまま居座ることとなり、それが幕末に至って倒幕ということになっていきます。

 

幕藩体制というものについて、これまでのイメージとは少し違うものがあったということですが、それも江戸時代を通して同一であったわけではなく、前期、中期、後期という時代によってかなり異なるものだったようです。

なかなか興味深いものを教えてくれた本でした。