爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「江戸の大名屋敷を歩く」黒田涼著

「江戸」すなわち現在の東京の江戸時代の姿ですが、時代劇などでよく出てくる江戸の町というのは下町の町人の住むところが舞台ということが多いようです。

しかし、実際には中央部の江戸城そしてその周辺の武家地が非常に大きな面積を占めており、中でも大名の屋敷というものは広大なものでした。

 

大名とは1万石以上の領地を持つのですが、それがだいたい300近くありました。

その大名は各々江戸に屋敷を持っていたのですが、少なくとも上屋敷中屋敷下屋敷の3つがありました。

上屋敷は大名本人が江戸にいる場合に住むところで、各藩の公式江戸事務所と言えるかもしれません。

中屋敷は隠居や世継ぎが住むところ、そして下屋敷は郊外の別荘というところです。

大大名では他にもいくつも屋敷を持ち10以上あることもあったということで、少なくとも1000以上の大名屋敷があったと考えられます。

江戸の総面積の7割は武家地だったと言われますが、その半分以上は大名屋敷でありそうなると江戸の3割以上は大名屋敷だったことになります。

 

明治以降、ほとんどの大名屋敷は政府に接収されるか売られてしまい今では屋敷自体は残っていませんが、広大な面積の土地であったために現在では官庁や学校敷地などとなっているものもあります。

そういった現在の大名屋敷を散策してみようというのが本書の趣旨です。

地域ごとに13のコースを作り、それをたどるように紹介しています。

 

譜代や大藩の上屋敷が集まる大手町、丸の内、霞が関、永田町周辺などは分かりやすいものかもしれません。

また本郷の東大は前田家の上屋敷で赤門はその門の一つだったというのも有名かもしれません。

三田や白金、六本木といったところは中屋敷下屋敷が多く広大な土地だったので今でも大きな施設の用地となっているところもありますが、島津藩のみは幕府から警戒されていたため上屋敷をここに置いたとか。

また多くは江戸城周辺や山手方面が多いのですが、隅田川以東にもいくつかの屋敷があり、水戸藩徳川家の蔵屋敷秋田藩佐竹家の屋敷などがありました。

また幕府の米蔵、御竹蔵もありそれが明治以降は陸軍被服廠となりましたが、関東大震災の際にそこで避難者が多数焼死したのは有名な話です。

 

大名屋敷も屋敷の建物自体はほとんど残っていませんが、当時必ず作られていた庭園は今でもその名残を留めているところがあります。

芝離宮小田原藩大久保家、池田山公園は岡山藩池田家の下屋敷東京ミッドタウン横の檜町公園長州藩毛利家の中屋敷、等々、多くの場所でその雰囲気が残っています。

大名屋敷は大名同士の接待の場ともなり、それには必ず庭園を散策するということが付き物だったため、当時の大名はその作成に心血を注ぎました。

 

東京都内の散策のガイドブックとしても使いやすそうな本になっています。

ただし、かなり広い範囲なので結構歩く距離は長そうです。