爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「食の歴史と日本人 もったいないはなぜ生まれたか」川島博之著

「もったいない」と言う言葉は英語などには訳せないということで、英語でもそのまま「MOTTAINAI」として紹介されるなどの動きがあり、他にも紹介しているようにエネルギー減耗について議論している「もったいない学会」というものもあります。

この「もったいない」と言う言葉の成り立った背景について、現在は東京大学准教授ですが各所で環境や食糧、バイオマス生産などの研究をされてきた著者が主に食料生産と人口増加と言う面から掘り下げて考察されています。

非常に中身の濃いものと感じました。今年も200冊以上の本を読みましたがその中でも上位に位置付けたい本でした。

 

本書「はじめに」に書かれているのは、「もったいない」と言う言葉の意味です。英語に正確には翻訳できないとされていますが、辞書には「wasteful」と書かれています。これは「無駄使いする」ということですが、日本語の語感では「無駄使いする」と「もったいない」とは相当違います。

「もったいない」はやはり食物に関して使うことが多いのではないか。そうなると、これは食料需給と関係が深いのではないかということで、著者の専門分野である食料生産の歴史と人口動態と言うところに考察が及びました。

 

日本人は食べ物を残すと「もったいない」と思う人が多いようです。著者はイギリス留学を含め世界各国を訪れた経験がありますが、それらの国々で食べ残しを捨てることに罪の意識を感じる人は居ませんでした。この理由は歴史的な経緯にあるというのが著者の結論です。

 

日本は人口密度が高いことは知られています。その高さというものはある程度の広さと人口の多さを持つ国の中では飛びぬけて高いものです。(日本より高い国は、シンガポールのように都市だけの国やオランダやバングラデシュのように平地だけの国です)

 

このような日本でも人口の増加の歴史をたどると、江戸時代前期と明治時代に非常に高い人口増加が見られたことが分かります。

江戸時代前期にはそれまでの戦乱から平和になり、農業生産が安定するとともに、戦国時代で急激に発達した土木技術を使っての開墾で農地が増えたこと、さらに大家族制が崩壊して小家族となり結婚できる人々が増えたことも要因となります。

この結果、農業生産力が増え人口も増えたのですが、それとともに農業生産の方法にも変化が見られました。一家あたりの農地の広さが制限され、また牛馬などの使用も減少し、人力での作業が増加したようです。

これが「勤勉革命」ということになりました。つまり、勤勉であればあるほど生産も上がるということで、日本人の気質に大きな影響を与えたものです。

この人口急増で、江戸時代中期には当時の世界人口の5%近くが日本人ということになりました。20人に1人は日本人だったことになります。

 

しかし、それも江戸時代後期には気候の寒冷化等により食料生産が上がらず、人口も停滞することとなりました。

 

それが明治以降にはまた人口急増に転じます。これは非常に不思議な現象だそうで、食料生産の上昇に伴って起きたわけではなく、食料増産の前に起きてしまいました。

乳幼児の死亡率の低下というのも要因でしたが、それ以上に産業の発達がおき都市への人口流入が増加し、そこでの出生率上昇が起きました。

さらに、国策として「産めよ増やせよ」という政策が取られたこともあり、人口増加に歯止めがかからなくなりました。しかし、食料増産はそれほど進んでいませんでした。そのために、常に食糧不足による飢饉の恐怖と言うものがあったようです。

 

イギリスも日本と同じような規模の島国でしたが、19世紀以降は人口爆発が起きずに推移してきました。これはイギリスからは大規模な移民が海外へ進出していったためです。多くはアメリカに移動しました。この結果、イギリスでの食糧需給は緩和されましたが国内での経済発展に影響が出るほどとなりました。

 

 日本の食料事情および人口に関していえば、日本の農地の事情と言うものも世界的には特異なものとして見られるようです。

かつての農地面積がどの程度のものであったかと言うことは非常に検証が難しいものですが、一つの推定として平安時代中期には85万haだったということです。その後増加して1450年には94万、1600年に162万、1720年には294万haと推定されます。

明治初期は455万、1912年に558万ですが、これは江戸時代から急激に増加したということではなく、明治以降は水田だけでなく畑地も統計に入ってきたからであり、それ以前も畑地は別にあったようです。

また室町時代になって二毛作が始まり、それまでの夏の時期の食糧難がようやく回避されるようになりました。

 

農地が養える人口というものはその生産形態により決まってきます。これをキャリング・キャパシティー(最大扶養能力)というそうですが、これが日本では非常に高いものになっています。1870年の時点で1haあたり5.7人ですが、ヨーロッパ諸国で1.8人程度、中国で3.4人となっています。なお、この場合の農地には草地は含まれないのですが、ヨーロッパでは放牧用の草地が非常に多くそれを計算するとさらに差が広がります。(日本にはそのような草地はほとんどありません)

なお、米は単収が高くコメ栽培地では人口密度が高くなるのですが、コメ生産国のアジア各地と比べてもやはり日本の人口は多くなっています。

 

日本ではコメの栽培技術も昔は非常に高く、単収も高いものでした。現在では下がっていますが、明治期からの単収の伸びは高いものでした。

しかし、それを上回る人口の伸びが並行して起きていました。そのために絶えず食糧不足の恐怖におびえていたと言えます。

 

明治期以降、コメの増収と言うものは絶対に必要な施策でした。そのために農地の増加にも努めましたが、60年間で3割増えただけで、その間に倍増した人口を食べさせるには不足していました。それを補うのが窒素肥料でした。

しかし、大正時代までは化学合成による窒素肥料は作られていませんでした。ようやく昭和になり硫安製造が始まりましたが微々たるものでした。

ここで著者専門分野の肥料としての窒素の入手先の考察がなされます。

林地の下草や落ち葉から得られるものが、明治初期で255(単位は千トン)、昭和8年には243、平成15年には246とほとんど変化はありませんが、家畜・人糞尿由来が増加しており、合計すると明治に358、昭和8年529、平成15年1591となります。

しかし、それ以上に化学肥料の伸びがあり、明治初期に0であったものが昭和8年には140、平成15年には463となり、平成には下草・糞尿由来の窒素分はまったく使われなくなってきました。

農作物の単収は窒素の農地投入量により大きく左右されます。

しかし、窒素の過剰投入は環境汚染につながるという問題点があり、今後は不可能になるでしょう。

 

食糧においては、穀物ばかりではなく動物も大きな位置を占めます。遊牧民ではほとんど肉食と言う人々もいます。

しかし、日本人は昔からほとんど動物の肉を食べなかったようです。

これはヨーロッパ人と大きく異なる点ですが、実は中国人もかなりの肉を食べており性格の違いの原因にもなっています。

これは一般には仏教の影響であると考えられていますが、著者はそればかりではなく、それ以前に肉食を支えるだけの野生生物が得られなかったためと考えています。

本気で肉食をしようとしてもそれだけの動物が得られなかった状況だったようです。

 

また日本人は魚食民族であると言われていますが、古くからの統計を見るとまったくそうとは言えなかった状況です。日本が漁獲量を増やしたのはようやく戦後になってからでした。明治時代には一般に流通するにはまったく足りない程度の漁獲高しかありませんでした。

それでもイワシやニシンの漁獲が徐々に増え、食卓にも上がる機会が出てきたようです。

それが戦後になり大型船の導入と冷凍技術の進歩で遠洋漁業が発展し漁獲高も飛躍的に伸び、市場にも安価で出回るようになって、ようやく庶民の食卓にも魚が上がるようになったようです。せいぜい80年の歴史しかないのが魚食文化とも言えます。

 

食糧自給というものが問題になっていますが、歴史を振り返ると明治初期までは100%自給であったのは間違いないところです。

しかし、その後海外植民地からのコメの移入ということが起き、内地の自給率はどんどんと下がりました。特に朝鮮半島からはコメを日本内地に送り自分たちの食料は欠乏するという「飢餓輸出」状況になってしまいました。これがその後の反日感情につながるのではと言うのが著者の見方です。

その後、東南アジアからのコメ輸入も急増しました。しかし、太平洋戦争敗戦によりその道が途絶えました。当時は絶対に食糧が賄えないものとの予測で絶望視されたそうです。

しかし、敗戦後にはアメリカからの食糧援助を受けることができ何とか食いつなぐことができました。

さらに、アメリカの農業がトウモロコシなどの穀物生産の増加が急激となりその購入先を探している時期に重なりました。日本がアメリカの穀物を購入してその後は家畜生産に当てるということで共存共栄になっていったようです。

 

このような食の歴史を考えていくと、とくに江戸時代からの人口密度の限界までの上昇と食糧生産の関係から、「もったいない」と言う精神が浸透していったということが分かります。江戸時代後期には生産性の停滞からその精神がさらに深まっていきました。

明治以降、人口が急増したのは食料生産向上というよりは、石炭石油へのエネルギー変換が大きかったようです。しかし、食料はそれほど増えませんでした。そこにももったいない精神が続いた経緯があったと言えます。

 

この先の世界はこれまでの世界と異なり資源や食糧の限界が近づいてきます。そのような状況はこれまで日本人だけが受けてきたものと似通っていますが、世界のほとんどの人々には経験が無いものです。

それを生き延びるためには日本人が育ててきた「もったいない」精神が必要になるのではないでしょうか。

 

このような日本の食糧事情と日本人の精神との関連と言うものは、著者の言うように「日本だけ」かどうかは分かりませんが、世界の多くの状況とは異なるものでしょう。

それが今後の世界で必要となるというのも著者の意見そのままと感じます。

いわゆるアメリカンスタンダードのグローバル化と言うものとは全く逆の方向です。しかし、取るべき方向はまさに「もったいない」を活かす方向なのでしょう。