爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

世界は持続可能となり得るか。食糧生産の危険性。

持続可能という言葉が必要以上に使われているように感じることの多い昨今ですが、本当に世界は「持続可能」なのか。

 

「長期計画」といっても3年から5年くらいしか考えないのが現代ですから、その程度「持続」すればよいというのかもしれませんが、ここは本当の意味での「持続」することを考えます。

 

持続することを可能とするためかどうか知りませんが、気候変動対策で石油を使わないとか、二酸化炭素を固定化して大気中から減らすなどと言った、どこが「持続」と関係するか分からないようなことまで言われていますが、人類の生存ということに最も大きな意味を持つのが「食糧生産」であるのは間違いないでしょう。

 

現在のところ、世界の食糧生産は世界のすべての人々が生きていけるだけの食糧の量を上回っており、何らかの要因で供給が上手く行かない場合以外では飢餓の心配はないはずです。

 

これが永遠にとまでは言わないにしても、当分の間続いていけば、少なくとも生きるために食べるということはその間は大丈夫なのですが。

 

人類の歴史では常に食糧確保ということが大きな問題であり続けました。

食糧の入手が途絶えればあっという間に飢餓に陥り、餓死することも稀な事ではなかったわけです。

現代でも地域的にそういった事態に陥ることもありますが、世界全体を見てもあちこちで飢饉が起きていたというのはそれほど昔の話ではありません。

 

それでは世界人口を満たすような食糧生産はどうやって可能となったのか。

下記に分かりやすくまとまった文章を引用します。

sangakukan.jst.go.jp

東京大学大学院の川島博之准教授が書かれたものです。

 

21世紀の食料生産と題されていますが、それ以前の経緯も説明されています。

 

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非常に分かりやすい図と説明ですが、川島さんが別の論文用に作られたものをこの文章に引用されたものです。

穀物生産量と人口の伸びを対比させた図1は、1960年からの50年間を扱ったものですが、人口の伸びを穀物生産量が上回っていることが明白です。

 

この生産増がどのように実現されていたか。

それを示しているのが図2のフランスにおける小麦単収の変遷ですが、1800年というナポレオンの時代から1950年頃まではほとんど横ばいであることが分かります。

そして、その後に単収(単位面積当たりの収穫量)が急増しています。

そして、耕地面積はこの期間にさほど増加はしておらず、あくまでも単収増加で収穫量増加が成し遂げられたことが分かります。

 

この単収増を実現したのが「窒素肥料」です。

川島さんの文章でも次のようにまとめられています。

 

窒素肥料と農業生産

それでは、何がフランスにおける20 世紀後半の単収の急増を可能にさせたのであろうか。答えは窒素肥料(化学肥料)である。ここで、窒素肥料とは工業的に空気中の窒素を固定することにより製造したものを指す。食料の増産には品種改良が重要と思われがちであるが、多収量品種を作っても窒素肥料がなければ高い単収は得られない。品種改良と窒素肥料は、食料増産の両輪になっている。

 

窒素肥料はハーバーボッシュ法の開発により20世紀初頭から大量に生産できるようになりましたが、先進国でもそれが広く普及したのは第二次大戦後になってからのことでした。

そして、これが上記の図2に見られるような20世紀後半の大幅な単収増の大きな要因であったのです。

 

 川島さんの文章では、この後は21世紀にも増収が期待できるかということになり、「アフリカなどの政情が安定し窒素肥料の供給がうまくいけば当分は農産物増産も可能」ということになります。

正統派農学者としては当然の論旨ですが、私の見方はかなり異なります。

 

つまり、「ハーバーボッシュ法による窒素肥料の製造だけにとどまらず、多くの農業遂行におけるエネルギー投入は非常に多く、現在のエネルギー依存文明の脆弱性の表れだ」とも言えるものだということです。

 

肥料の製造以外にも、多くの化石燃料が農業生産の各所に大量に投入されていることは周知の事実です。

アメリカの飛行機での種まきばかりではなく、日本の石油常時投入の温室栽培なども象徴的なことでしょう。

 

このようなエネルギー投入の農業と言うものは、そのエネルギー源が化石燃料の石油である以上、決して「持続可能」とは言えないものです。

 

二酸化炭素大量発生だから止めましょうなどと言う、上っ面の議論をはるかに越えて、「もしも石油が減少したら」とても持続できる形態ではありません。

 

この「石油依存」の農業が継続不可能になったらどうなるでしょうか。

それはすぐさま極端な不作に直結し、農業生産の急激な減少となるでしょう。

 

「化学肥料が無くなっても有機肥料がある」などと言う夢は見ることはできません。

その圧倒的な量的不足はとても有機肥料などと言うままごとでは埋められません。

 

ここで冒頭の川島さんの図を見てください。

1960年の化学肥料投入の爆発的増加の前からでも人口は倍以上に増えています。

もしも化学肥料が投入できなくなり、農業生産がその時点の値にまで減少した場合、そこから増加した分の人口を支えるだけの食糧はどこからも調達はできません。

 

現在の世界が「持続可能」かどうか。

それはエネルギー依存農業による農産物の大量生産に支えられて肥大した人口増がある以上、とても持続はできないことになっているのです。

 

それに気づいてすぐにでも方向を変えればまだ悲劇は最小にとどめられるかもしれません。

しかし、それを無視して形だけの「SDGs」なんて言うままごとをやっていると、急激な農業崩壊により世界規模の飢餓(それを避けられる場所はごく一部でしょう)に見舞われることとなりかねません。

そのような悲劇を避けるためにも、くれぐれも早く目を覚まし本当の危機を直視してもらいたいと思います。