民主党政権では官僚支配の一掃ということに力が入れられ、様々な方策が取られましたが、結果的には官僚機構を崩し政治の遂行を阻害するだけのものになってしまいました。
また、見方によっては危機感を覚えた官僚の総反撃を喰らい、没落を早めたとも言えます。
民主党は「官僚支配」から脱却し「政治主導」を目指しましたが、これは民主党だけの施策であるわけではなく、それまでの自民党政権でも一貫して政治主導を目指していたとも言えるものです。
戦後すぐに作られた日本国憲法では、以前の明治憲法と比べてはるかに強い首相の権力が持てるように想定されていました。しかし、その後の内閣法の制定の過程で当時の法務官僚の抵抗によって骨抜きにされていったという経緯があります。
つまり、戦後の諸制度が作られていく中で既に政治主導と官僚支配のせめぎあいというのは動いていたことになります。
戦後の政治が安定していく中で、政府内には各省庁の縦割りの壁が高くそびえ、それぞれの省益のみを追求する体制が強化されていきました。
それに迎合する形で、長期自民党政権の中には政務調査会というものが力を付けて行き、「族議員」というものが力を振るうようになりましたが、彼らも結局は官僚支配に巻き込まれていたことになります。
自民党政権の中でも、中曽根康弘や小泉純一郎の政権は官僚支配を弱め首相の主導を強める方策を実施しようとしたようですが、完全に効力を発揮するまでは至りませんでした。
その後、民主党政権で官僚支配を崩そうとする努力が為されましたが、失敗してしまいました。
最後の野田政権では誤りを認識して官僚の活用に乗り出したのですが、時既にはるかに遅く政権を失いました。
現行の安倍政権は官邸主導にある程度成功しているかのようです。が、どうでしょう。
官僚支配の欠点を攻撃するというと天下りの横行が取り上げられますが、本当の問題点はそこではないのでしょう。省益主体の政策への誘導というものが最大であり、天下りするかどうかなどは枝葉の話なんでしょうが、どうしても一般ウケするのはそこのようです。
今のところ、官僚支配が復活し政権運営も首相が決めるその方向性自体はガタガタですが、遂行の方は問題ないかのようです。しかし、本当にそうかどうか怪しいものと思います。