「官僚制」の批判という方向性は、この本の出版された2011年当時と現在とではかなり変化してしまったかもしれません。
当時は、民主党政権下で官僚支配というものを政治優先にしようとした政権と官僚が熱い戦い?をしていました。
結果は官僚の勝ちとなったわけですが、その後政権についた安倍自民党がしたたかな戦略で官僚を上手く操縦するようになったという経緯はこの本の段階では誰も知ることはできなかったわけです。
したがって、現時点でこの本の語っている内容がかなりずれて感じられるのは仕方ないことですが、それでも本の価値が全く失われたということではないでしょう。
人びとはさらなる福祉社会化を望んでいると見ていますが、その一方で官僚制に対しては大いに不信感を抱いている。
しかし、福祉社会というものは官僚による運営がなされなければ実現しません。
そこの矛盾をどうするのか、といった点から踏み込んでいきます。
ただし、著者の野口さんは行政学が専門ではなく、「政治思想史」という分野の研究者であるため、現在の行政がどうかということではなく、これまでの政治思想家がどのように官僚制とデモクラシーを扱ってきたかという面からアプローチしていきます。
そこには、現代行政が専門である研究者が現実の政治課題について考えなければならないのに対し、「政治学の古典的な文献をゆっくりと検討する」という政治思想史研究的な方法が採れるとも言えます。
私のような政治学ド素人にとっては、やや遠回りが過ぎるかと感じられるもので、直球勝負で現在の政治の問題点をすっきりと説明してもらえる方がありがたかったと思います。
まあ、それは私の本の選び方の問題だったのでしょう。
それでも日本の近い時代の経緯などを触れてある部分は分かることもありました。
新自由主義は中曽根元首相時代に日本では始められたと見られますが、やはり本格的に採用されたのはバブル崩壊後の橋本龍太郎内閣、そして小泉純一郎内閣においてでした。
それまでの、官僚主導体制への信頼性が薄れ、官僚や公務員に対する不信感が増大し、それが新自由主義的な方策の説得力を増し、さらに官僚バッシングが進行しました。
2003年の総選挙では自民党も民主党もともに「保守対革新」の枠組みから「官僚対政治」という路線に代わりました。
どちらも「官僚批判」という共通項で結びつきました。
ただし、結局はこの時は新自由主義に有利な結果となりました。
その他、多くの歴史的な思想家にも触れながら本書は構成されていきますが、最後の結語の部分に要約されています。
テーゼ1 官僚制に対する批判的な情念は普遍的である
テーゼ2 官僚制はデモクラシーの条件でもある。
テーゼ3 正当性への問いは新自由主義によって絡めとられやすい
テーゼ4 ポスト「鉄の檻」状況において、強いリーダーシップへの要求には注意が必要である。
テーゼ5 ウェーバーの官僚制論は今日、新自由主義への防波堤として読むことができる。
要約を見てもなにか分かったような分からないような気にさせられます。
「強いリーダーシップへの要求」というのはその後の安倍政権の支持に重なって見えますがそうなのでしょうか。