今年の3月26日、北海道新幹線の開通ということで話題が集まりましたが、その陰で実は「はまなす」という列車がひっそりと消えていきました。
これが日本の鉄道で長らく走り続けてきた「定期急行列車」の最後であったそうです。
なお、「はまなす」の廃止で併せて「定期客車列車」と「開放式B寝台列車」も終焉を迎えました。
これで日本中の鉄道から「急行」がすべて消えてしまったことになります。「急行」なしに何の「特別急行」かとも思いますが、仕方のない事でしょうか。
本書は鉄道研究家、鉄道作家の寺本さんが、急行列車というものについて、懐かしい写真なども混じえてはいますが、あくまでも詳細な歴史を細かいデータを示しながらまとめています。
鉄道の使命の大きな一つのものとしては都市間の旅客の高速移動にあるのは間違いないでしょう。
その大きな柱であった急行列車というものについて、知るためには非常に有益な資料となる本です。
ただし、「特急」に関しては細かい記載はないので「高速列車」すべてについてを知るということはできません。あくまでも名称が「急行」というものだけです。
急行という名がついた最初の列車は、1872年の新橋横浜間の最初の鉄道開通よりわずか10年後の1882年、ダイヤ改正で新橋横浜間の列車14往復のうち、2往復が途中の品川、神奈川のみを停車する「急行」として運行したものです。
その後、山陽鉄道や日本鉄道など民営鉄道での急行列車運行、国有化後の国鉄での急行列車の発展と1912年の国鉄初の「特急」運行と、優等列車の発展が続きます。
丹那トンネルの開通で、東海道線の所要時間の大幅短縮もあり、戦前の黄金時代が到来しますが、その後は戦争に向かって急行列車全廃となっていきます。
終戦後は、占領軍による軍専用列車の運行が優先されて日本人向けの列車は復活が遅れますが、順次急行列車等の復活が進み、長距離列車の走り回る時代が再来します。
さらに、鉄道電化、ディーゼル化の波とともに急行列車にもそれらの車両が増加し、気動車・電車急行の時代に移ります。
しかし、その後は優等列車は「特急」化が進み、急行列車の存在感はどんどんと薄れていくことになりました。
これは新幹線の開業と伸長によってさらに加速されていきます。
それまでは、富裕層以外では特急に乗るというのは抵抗感があったものが、新幹線に乗るという習慣がついてくるとその他の路線でも特急利用をしやすくなったという心理状態の変化もあったようです。
そしてそれが最終的に今年の急行全廃につながってしまいました。
本書巻頭には、著者本人の撮影の1970年代から80年代の急行列車の写真が数多く収められています。
北海道のニセコ1号は、蒸気機関車C62の最後の牽引急行列車として有名でした。
飯田線の天竜号は、父母の故郷に里帰りの折りには何度か乗ったはずです。
中央西線、きそ号は最後のSL撮影の際には利用しました。
新宿発の飯田線飯田行のこまがね号にも乗車したことがあります。
東海道線夜行の銀河は、乗ったことはなかったものの大学時代の通学時に夜遅くなった時には東京駅で見たこともありました。
急行「東海」はその当時には何本も走り回っていました。153系、165系ともに覚えがあります。
九州の「えびの」には宮崎に行くのに乗った記憶があります。
どれも懐かしい列車ばかりです。自分も若かったし、なにしろ高速もない時代ですから車で行くという手段もなく、旅といえば列車という時代で乗るだけで心が浮き立つような気分でした。
もう時代が戻ることもないのでしょうが、あの急行列車が走り回っていた日本というものに懐かしさを覚えるのも年齢のせいでしょう。