アメリカでは1947年にトルーマンにより設置され、歴代の担当大統領補佐官(SA)にはキッシンジャー(ニクソン政権)やブレジンスキー(カーター政権)、スコウコロフト(父ブッシュ政権)といったそうそうたるメンバーが動かしてきました。
それに習い日本でもNSC設置を目指したのが安倍政権であり、民主党から政権を奪い返した2013年12月に国家安全保障会議設置法案を通してNSC設置にこぎつけました。
本書はその直後に出版されたもので、これまでもアメリカのNSC,そして日本での日本版NSC設置について詳細に取材を重ねてこられた元日経新聞編集委員の春原さんが書かれたものです。
アメリカでのNSCは良いことばかりをしてきたわけではないようです。しかし、一定の働きはしてきたようですが、政府構成が異なる日本でどうなるのか、不明な点も多いようです。
まずアメリカでのNSCの歴史から書かれています。
アメリカは直接選挙で選ばれる大統領に大きな権力が集中し、また政権の中枢から始まり多くのメンバーが政権交代によって入れ替わるというシステムになっています。
フランクリン・D・ルーズベルトは第2次世界大戦を勝利に導いた功労者とみなされていますが、その政治手法はかなり独善的であり、閣内一致などには配慮がないものでした。
それを是正するという意味もあり、後任のハリー・トルーマンが政権内外の「賢人」を招集し重要政策を審議させるということで成立したのが、NSCであったということです。
したがって、そこにはNSCを大統領のブレーキ役としても役立たせる意図があったようです。
そのような組織をまったく政権の構造が異なる日本に作る意味がどこにあるかは難しいものです。
そこには日本特有の中央官庁の「前例踏襲主義」の影響が強く、それを打破し「迅速な政策転換」「大胆な意思決定」ができる組織が欲しいという意志が働いています。
ただし、そのメンバーとして選ばれるのが中央官庁組織からの人材であれば、そのような役割を果たせる人間が居ることは期待できないということにもなります。
そうなれば、NSCを作る効果も薄く、かえって本家アメリカの場合にも見られる弊害の部分「虎の威を借る狐」を作るだけとも言えます。
しかし、冷戦後の世界の混乱の中で北朝鮮や中国の軍事力強化、各地でのテロ発生に対するには迅速な意思決定ができる組織が必要としてNSC設立に意欲的だったのが、安倍晋三や石破茂、前原誠司などでした。
ちょうどその議論が進んでいたところに起きた東日本大震災、福島原発事故に対し、民主党政権の対応が見るも無残に破綻したことも、NSCのような危機対応組織が必要という雰囲気を作り出すことになりました。
民主党政権はその前の自民党政権の体質への反省から、「政治主導」を掲げましたが、それの実現には失敗しました。
それに代わった自民党安倍政権は元の「官僚主導」に戻すかのように見え、「官邸主導」をやり遂げようとしているように見えます。
日本版NSCにはやはり問題も数々あるようです。
屋上屋を架すだけではないか。
また、日本のような警察の勢力の強いところではそれとの関係はどうなのか。
文民統制がクリアできるのか。軍人がNSCのメンバーとなったらどうなのか。
等々です。
おそらく、安倍総理の思惑とは異なるでしょうが、日本版NSCの果たすべき使命とは「権力を補佐しながらその暴走を抑制しつつ、日々起こりうる事象に臨機応変に対処する」ことであるというのが春原さんの意見ですが、そうなりますかどうか。