爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

民主主義と地方自治

統一地方選第1弾の県議選の最中ですが、この辺は無風地帯なのか候補者の声もほとんど聞こえません。

さて、地方自治といっても市町村議会などはべたべたの地元密着も仕方のないことですが、県議会ともなると少しは大きな視点から見た政治見識が欲しいものですが、当地候補者はそういったことにはほとんど関心がないようです。とはいえ、これは候補者だけの責任ではなく支持者のレベルからも決定されることですので、そのようなものも求める気もない有権者にはお似合いの候補者なんでしょう。

まあ国会議員も似たようなものなのですが。

しかし、原発などのエネルギー政策や米軍基地を含む軍備・外交などは国の施策であり地方などは口を出せないかのような雰囲気が作られていますが、どちらも極めて限られた地方(本当は違うんですけどね)のみの問題かのように貶められているようで、その地元では大問題となっていても他の地方ではほとんど話題にも上らないと言うことになってしまっています。

民主主義というものがある以上国全体のことも全国の国民が等しく考えていく必要があるのですが、実際はそう上手く行くはずもなく地域の問題は他の地域には興味も引かないといったことになってしまいます。
その結果、沖縄では基地を問題とする県民世論がいくら沸きあがってもそれは国政の問題だと言う政府の論理に組み伏せられどこにも解決の方策が見出されなくなります。原発の地元が再稼動を求めると言う事態になりがちなのはこれまでの経緯からありがちなことなのですが、それを取り上げるべき場所が上手く稼動しません。

このまま行けば小さな地域でも国政で扱うべきエネルギー政策や軍備・外交を独自で決めたいと言う意見が強まっても理論的に止める術はなくなります。ヘタをすると警察権力による抑圧などということにも成りかねず、暴力的な分離独立運動にも進んでも不思議はありません。

今のような日本全体を一国としてまとめていく民主主義というものを安定して続けていくためには、他の地域に関わる国政上の大問題を皆が真剣に考えていかなければいけないと言うことです。それにふさわしい議員を国会だけでなkう地方議会にも持たなければなりません。
それを思って選挙戦を見たり、国会での騒動を見ると前途の多難さを感じるばかりです。経済政策だけで議員を選ぶのはこれまでもずっと続いてきているわけですが、それが出来ないのが政府の責任だと言うことには気付かないらしい、おめでたい国民には似合いの政府なんですが。